その傘をあげるから忘れて
私は実家から自宅に戻る時、前の晩に泣く。
あと母親に長生きしてほしいとかそういうことを毎晩言う。とても変化に弱く、場所を移動するとかそういうことが耐えきれないほどつらい。いろいろなことを感じてしまう。だから勝手にわかった気になって、人のことを考えて泣いたりもする。
結局何が手に入っても虚しく、満足など永遠に無いのだと思う。いつも飢え乾き、バケツには穴があいていて注いだそばから流れてゆく。
何を手に入れてもずっと苦しいのは一体なぜなんだろう。ここに全てがあるわけではないけど、満ち足りているといってもいいのではないか?あまりに、あまりに欲張りなのではないか?
寒いのが苦手だからこんなことを考えるのかもしれない。明日春が来たら、もっと明るくなれるのかもしれない。
私にはトラウマなんかないはず。つらいことはあったけど、トラウマなんて大げさなものじゃないし、いつまでも昔のことを気にするのは愚かなことだと誰かが言っている。
その傘をくれよ、と言う気持ちはわかるけど、私は誰かに差し出したい。返さなくていい。もうずっと濡れたままでいい。そのまま走り去って、そこには帰りたくない。
そして忘れてほしい。