私はいつ家に帰れるのだろうか

私が書いて何のためになるのかというと、少なくとも私自身のためになる。

 

妊娠について友人たちからアドバイスをもらう。無痛分娩にできるならそのほうが良いとか、もうお金を積まれても二人目を産みたくないとか、何歳からは障害のある子が生まれる可能性が高くなるというような。

私は月経の痛みとPMSがひどいのでピルをもらいに婦人科に通っているが、そこは産婦人科でもあるので、お腹の大きい女性たちに囲まれて座っていると不思議な気分になる。彼女たちはこれから出産という大仕事があるのに、私は妊娠しない薬をもらうためにそこに来ているのだと思うと不思議だ。

 

フェルナンド・ぺソアの『不穏の書、断章』をうんうんうなずきながら読んでいるが、私がしなければいけないのはもっと実存的なことだと思う。おばあちゃんに頼んで、田舎で小さな畑を毎日世話して暮らそうかとも思う。それが人間の自然な生き方なのかもしれない。

 

昨日は死の誘惑がひどく、具体的な考えが頭をよぎった気がするが高さが足りないので断念する。それに、私のことを好きでいてくれる人や、優しくしてくれた人のことを思うとやはり実行できることではない。もっともっともっと追い詰められたらわからないが、少なくともまだそこまでには至っていないので、どこか安心している自分がいる。

しかし成功するためにもそのようなそぶりは見せてはいけない。これは自分に課している。1度で成功しなければいけないので、悟られてはだめなのだ。

 

いったい、この劇場なき芝居はいつ終わるのか。あるいは芝居なき劇場は。

私はいつ家に帰れるのだろうか。どこに、どうやって、いつ。

フェルナンド・ぺソア,沢田直 訳,『不穏の書、断章』,p86