「簡単に死ねる」ではなく、「簡単に死ぬ」
ほぼ一年ぶりのブログ。
もちろん書くことはあるんだろうけど、とりたてて書きたいことはないといったようなそんな感じ。
相変わらず死にたい日はあり、しかし生活をなんとか快適にしようとしている自分もいるという矛盾した状況。
そういった暮らしのなかで私を支えてくれているのは、やはり文章を読むことや、何かの作品に触れることである。それは小説・映画・音楽・エロゲ・ブログ・ツイッターなどさまざまである。
コロナがあるので外出の機会も少なく、しかしもともとひきこもり体質だったのでそれほど不自由も感じない。
友達も多いほうではないので、会おうと言われて気を揉むこともない。
同居人には本当に助けられているが(それはその時々によって母親であったり祖母であったり男の人だったりする)、私の心を乱すのもまた同居人である。相手の顔色や行動で私の行動も決まるので、良い作用も悪い作用もある。
私がしっかり自分を持てばいいのだが、それは一朝一夕で身につくようなスキルではないので、いまのところ振り回されている。
人って簡単に死ぬのだよなあということを最近考えた。
「簡単に死ねる」ではなく、「簡単に死ぬ」だ。若くても若くなくても死ぬときは死ぬ。
私はついついお金の心配をしがちだが、それもほどほどにして、使うときは使わねばと思っている(心がけようとしている)。
コロナで価値観が少し変わったのかもしれない。
もともと心も身体もあまり強くないし、持病もある。呼吸器系の病気もあるので、今の状況だと死がちょっと身近だ。
発作が出たときのあの感じが、たぶん何倍や何十倍に感じるのかと思うとこわい。寝られない、横になれない、気絶するみたいに寝て、また呼吸の苦しさで目が覚める。
でも、あの経験があるおかげで用心しているから、まだかからずに済んでいるのかもしれないとも思う。