誰かのための祈りに依存している

そわそわして頭の中が忙しい。

長時間睡眠をとってしまう日が減った。

先生に、そわそわして頭の中が忙しくて新しい洋服や靴や本が欲しくなってしまうんです、と相談した。

先生曰く、刺激の少ないところに行きましょうとのこと。公園とか。

さっそく公園に出かけてずんずん歩いてみる。しかし電車賃は払わねばならないし、お昼代も必要だ(午後まで外出を待てないのである)。

私は数字の計算に弱く、なんとなくは理解できるが、なんとなくなのでどんどん自信がなくなってきて不安になり、貧困妄想に陥ってしまう。そして金勘定ばかりしてしまい鬱になる。文章にすると滑稽なのだが、切実な悩みである。

本当は1日に持ち歩くお金を制限すればいいのかもしれないが、それをやると自分の人生になんの楽しみもないような気がして、できない。

この状態を周期的に繰り返しているので周りの人に迷惑をかけていると思う。ごめんなさい。

 

昨日今日と職場であった嫌なことがフラッシュバックした。自分が大切にされなかったこととか、いろいろ。こんな時だけ記憶力が良いので困ったものである。

福祉の世界でも優しい人とかちょっと冷たい人とかいろいろな人がいて、私も何とか助かりたいのですがってみるのだけど、その時に冷たくされると心が折れてしまう。それでも頑張らねばならない。

 

人とのやりとりの中で「そんな悲しいこと言わないで」と思ったが、でもそんなのなんのなぐさめにもならないので言わなかった。私が何かを言いたいけど我慢することって珍しいので、珍しいなーと思った。

 

幸せなことが立て続けに起こるとなんだか怖くなってしまい、この次には悪魔がやってきて私を苦しめるのだろうと想像してしまう。実際にはそんな目にあったことはないし、禍福はあざえる縄の如しなのだから同程度の幸せや悲しみがくるのだろう。幸せに怯えることなく生きていけたらどんなに良いだろうと思う。

 

最近かんしゃくを起こすことは少なくなったきがする。エビリファイが効いているのかもしれない。

去年の今頃、ささいなことにも敏感で、頭の中でブチっと音がして泣いたり怒ったりしていた。漫画で青筋が浮いている表現があるが、本当にあんな感じで脳の血管が反応していた。まぎれもなく、「ブチっ」という音がしていた。あそこから回復できて本当に良かった。

 

Twitterサブアカウントを作っているのだが、特に何もつぶやいていないし誰もフォローしていない。サブでつぶやきたいことがないのだと作ってから気づいた。皆さん何に使っているのでしょうかね。好きな人や物の話とか?

 

夏は比較的好きな季節だが誰かにとっては地獄なので、あまり暑くなりませんようにと祈っている。