好きな人の、好きな人

美しい人の顔が似通ったものであるように、頭の良い人の文章も似通ったものになるのかもしれないと思う。具体的に、景色や事象や心情をきちんと描写して、なにひとつとりこぼすまいと丁寧に打ち込まれた言葉は隙間なく整頓された本棚を見ているようで、気持ち良い時もあれば、気に入った本があっても抜き取っていいのかとびくびくしてしまう時もある。

 

好きな人の好きな人について考える。好きな人の好きな人をみつけるとついジロジロと見てしまう。この人、白いハイネックのセーターなんか着てさ、村上春樹の主人公気どりなんじゃないの?なんて、着ているものにすら難癖をつけてしまう。坊主憎けりゃ、というやつだろうか。

あんな奴やめときなよ、なんて思うこともあるが、その子が幸せならそれでいいかと思い直す。誰かの好きという感情をコントロールする権利なんて、私にも、誰にもない。その人に恋人がいたとしても、その恋人ですら誰かの恋心を否定するなんてできない。好きになることは始まりだし、全部が終わることでもあるからだ。今までの感情全部がスタートしなおすんだ。再構築が始まれば、誰も止めることはできない。

 

最近本当にだらだらしていて、2枚くらい紙を埋める日もあれば、140字で完結する日もある。気力がない。外に出て行く理由がない。私は、生きていることに現実感がない。痛みも苦しみもないことは本当に私が求めていたことだったのだろうか。わからなくなる。

それがまた、苦しみにつながり、しかしてその苦しみは何も生み出すことがない。