漫画『晴れた日に絶望が見える』/あびゅうきょ氏/絶望男は希望羊の夢を見るか?
漫画でも本でも、読書をしていると自分の今考えていることや体験していることとリンクして感動することがある。歌詞もしかり。
そして今回、あびゅうきょ氏の『晴れた日に絶望が見える』もそのひとつであった。
(kindleunlimitedでは無料で読めるらしい)
始まりは電車の中。行き先を尋ねる女の子と、答える黒いヴェールを被った男。
…とにかく遠くへ…
ずっとずっと どこまでも
イヤな毎日が見えなくなる
終着駅まで行きたいのです。
男は手にガチャポンのカプセルを持ち、周りにはフィギュアを携えている。
38歳 長男 高校中退
独身無職
資格、免許一切なし
生きがいは美少女や美少女フィギュアで、やたらと膝枕をしてもらいたがるこの男が前半の主人公を務める。
話としては女の子(あびゅうきょ氏が描いている女性は、美少女ではなくあえて女の子と表記したくなる感じの、現実っぽさがあると感じた)が男に語りかけ、教えてくれたり罵倒してきたり発破をかけたりするという内容なのだが、それが変に生々しくなく、ちょっと励まされた自分がいる。
男が求めるのはセックスではなく、なぜかいつも膝枕なのが面白いと思った。
女性たちの噂話も古びていない。
日本も戦争になっちゃうのかしら…?
でも私たち外国に逃げればよいこと。白人と結婚しちゃうの♡
そう‼日本の男なんて何の価値もない
当然よね 日本にこだわる必要なんてないものね
こんなつまらない国…
ゴミよゴミ‼ギャハハハ…
こういうことを言う女性を男性はもちろん無視していいのだし、この言葉を見て女性全員がこのように感じているのだとは決して思わないでほしい。
ネットでは弱者男性という言葉があり、私はこういった言葉があまり好きではないのだが、その言葉を求める気持ちも全くわからないではない。
考えてみれば私も少し運が良かっただけで、誰にも相手にしてもらえず空回りばかりで生きていく可能性もあったのだから、私と彼らとの間になんの違いがあろうか。
だが、その言葉をよすがにして生きていくには、一生はあまりに長すぎる。
「絶望年代記」という話では、15年前に男が参加していた同人グループでの思い出を振り返り、思い出の地を巡る。
この男は15年も前の思い出を宝箱にいれるように大事にしており、しかしその思い出が美しく素晴らしい現実に繋がろうはずもなく、それが自分自身と似ていると感じ、非常に心が安らぐとともに切ない気持ちになった。
茨木のり子の詩「歳月」を思い出した。
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
茨木のり子の元の詩は、私の思い出の振り返り方とはかなり違うのだが、私の人生もおおむね思い出を抱きしめて生きていると思う。下記で全文が読める。
詩人・茨木のり子 亡き夫に向けた39編の“恋文” 詩集「歳月」に込められた思い - クローズアップ現代 - NHK
あと、新宿御苑のドコモタワーが出てきたり、絵の描き込みがものすごく、見ているだけでも絵から何かしらのパワーが出ているように感じられる(新宿御苑とドコモタワーで新海誠を想起した)。
名画のオマージュだったり、映画『カサブランカ』っぽさを感じた部分もあった。ジョージ・フレデリック・ワッツの「希望」という絵が好きなので、あ、あの絵だ!と嬉しくなった。
男が主人公の話では毎回、「結局生きていくしかない」というようなことを女の子が言ってくれて、まあそうなのかなと諦観とわずかな希望を得た気になれる。
「君と幸せだったパリの思い出で俺は生きていける」ように、あびゅうきょ氏の漫画を絆として、一瞬、私も生きていけるような気がした…。
………
「ダミュダコリャー、ニャオーン」