悲しいことはほこりのように積もっていくから、幸せの基礎が必要だ

三日くらい、全然遊ばずにぼーっとテレビとインターネットばかり見ている。なんでこんなに疲れているんだろう、ウツか?と思っていたけれど、考えてみたら二月と三月で四回も、泊まりで県外に行っている。そりゃ疲れるよね。

行った先ではどこでもそれなりの思い出ができて、楽しい事もつまらない事もあった。「あーなんで自分ってこんなにコミュニケーションが苦手なんだろう」とか「ああ、勇気出して言えば良かった」とか後悔もいっぱいだ。でも、私の中に記憶が積もっていくのは嬉しいことだ。生きてるって感じだ。

生きてることを感じられるのは嬉しい。いつもはより死に近いところにいる気がするから。旅行で新しいものを目にして、そこでの空気を吸っていると生に近いような気がする。いきいきできているような気がする。

 

本棚の横でこれを書いているんだけど、少しすっきりした本棚を眺めていると嬉しい気持ちになってくる。できる時で良いから掃除、頑張ろう。

嬉しいことを積み重ねて、人は生きていくんだな。悲しいことは放っておいてもそこかしこに、ほこりのように溜まっていくから、意識的に嬉しいことを積み重ねなければいけない。そして、積み重ねた先から壊れていく嬉しさもあるし、長い間とどまり続ける幸せもある。基盤になるような幸せが欲しい。私の基礎となる幸せが。

気付いたらもうとっくにここにあったのにねっていう幸せが。