燃え続けるよだか、泡になった人魚姫

私が、宮沢賢治が書いたもののなかで一番好きなのは「よだかの星」です。

あまりにつらく、そして燃えつづけるよだかが美しくて、一番好きになりました。

銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」も好きですが、やはりよだかが一番良いです。アンデルセンの童話では「人魚姫」が一番好きなので、自己犠牲的で主人公が死んでしまう話が好きなのかもしれません。

 

アンデルセンの自伝である『ぼくのものがたり』はいわさきちひろの絵が使われていて、私はこれが大好きです。アンデルセンの波乱に満ちた人生といわさきちひろの柔らかいタッチがどうしてかよく合います。アンデルセンの感じた悲しかったことがさらりと書かれているので、かえってそれが胸を締め付けます。

 

 

アンデルセンはひとりっ子で、甘やかされて育ったと書いています。

特にお父さんは、アンデルセンに人形芝居を作って(!)見せてくれたり、物語を読んで聞かせてくれたりしたようです。

お父さんは物語を愛し、労働はあまり好きではないようでした。そしてある日、「キリストだって人間だったのだ。ただ、なみはずれた人間だったのだ!」と言い出しました。それを聞いて、アンデルセンのお母さんは涙を流しました。この時代にそんなことを言う人はあまりいなかったのだと思います。そしてお父さんは戦争に行き、帰ってきて、体を悪くして死んでしまいました。

 

私は今日、「永訣の朝」が読みたくなって宮沢賢治の詩集を買いました。一度読んだことがあったのですが、私の中で宮沢賢治は冒頭にも書いたように物語の人なのでした。

彼が残している詩には優れたものがとても多く、もはや詩人というより、宮沢賢治というひとつのジャンルを確立しているような気がして気後れしてしまい、それが賢治の詩集をあまり読まない理由のひとつでもあるのでした。

「永訣の朝」を音読して、私は泣きました。途中から泣いていました。私は優れた詩や文章というものはリズムも大事だと思っているのでなるべく声に出して読んでみることにしているのです。

私のいない教室でこれが読まれ、それに感動した少年がいて、そしてその思い出を少し分けてもらえることをなんといえばいいのか私にはわかりません。

感動では大げさで、喜びというだけではなく、奇跡というのはあまりに壮大すぎる気もします。

 

また宮沢賢治という作家について思い出すことは、私が20歳のころに恋をしていた相手のことです。彼は院で宮沢賢治の研究をしていて、論文も見せてもらったのですが、さっぱりわかりませんでした。ただ、宮沢賢治の研究をしている人と私が幸せになるというようなことはないだろうなとはっきり感じていましたし、その後も何も起こりませんでした。

私はそのように、いくつもいくつも誰かを好きになって死んでいくのだと思います。男女など関係なしに人のことを好きになって死んでいくのだと思います。それは傍から見ると愚かで節操がないかもしれませんが、私はその時その時で幸せを噛みしめています。

肝臓の数値が悪いなーと思いながらも薬を飲み飲み暮らしていくしかない

最近心拍数が速くて、外出時は104とか109とかいう数字が出るので医師に伝えたら薬が変わった。漢方を出してもらっていたのだが、それの副作用?のせいでこうなっているようだ。

あと、薬の種類が多いので1種類減薬になっていたのだが、その薬を飲まなくなってからイライラしたり身体のそわそわ感が強くなってしまった。自分の腕を指でトントン叩いたり、椅子のひじ掛けの部分を指で叩いたり、はたから見ていて不快だろうし私も動きが止まらなくて不快なので、「すごく少量だったけどちゃんと効いてたのかもね。でもあと2週間だけ様子を見ましょう」とのことだった。あと、2週間イライラしているのはかなり嫌だが季節とか気圧に左右されているだけなのかもしれないので様子見頑張る。

 

病院に彼氏と来ている人がいる、女はうらやましいという書き込みを見ることがあるが、私は夫婦を1度見たことしかない。しかもパッと見てどちらが患者かはわからない。

40代か50代の男性が親に付き添われているところと、若い娘さんがお母さんと来ているのは割とよく見る(たまにお父さんと3人で来ている家族もいる)。

親御さんと来ていた男性が最近何らかの支援者さんと一緒に来るようになっていたので少し切なくなった。

精神科って意外と発狂している人というのはおらず、頭に壁をガンガン打ち付けている人がいるわけでもなくそのあたりの偏見が払しょくされてもっと通いやすくなってほしいと思う。たまにこだわりが爆発してしまい受付の人と静かに揉めている人はいるが。

そういうことがたまにあるせいか、私が行く病院の受付の人はみんな結構冷たく、あまり笑わない。それは別にいいのだが、私は人の顔色をかなり気にしてしまうタイプなので相手の声色が暗いと気になってしまい、私が余計なこと言ったかな…などと思ってしまう自他境界あいまい人間だ。

でもこれはお互いどうしようもないことなのでこれからも受付の人はちょっと暗いしも、私も過剰にお礼を言いながら病院を後にする日々が続くのだろう。

 

治療をするモチベーションというのが人間には必要で、何か月で治るとか治ったら何をしたいかとかそういう目標がいると思っている。

精神病の場合、モチベーションを保つのはとても難しい。特に発達障害をなどを併発していると、うつ病適応障害寛解しても発達障害とはずっと付き合っていかなくてはならない。

なので、これをしたいとかあれをしたいとか未来への希望が持てない。ずっとこうなのかな、一生薬を飲むのかなと考えだしてしまう。とにかく当面をしのいで、悪化しないようにさせるみたいな延命措置をするだけで、根治には至らないと思うと精神病や発達障害とはなんと悲惨なものだろうと思う。

だが、そういじけていても何も良くはならないので、肝臓の数値が悪いなーと思いながらも薬を飲み飲み暮らしていくしかない。

 

人と会いたいし会いたくなさすぎる/人と話したいけど何もかもをつかめないならもう最初からあきらめてしまいたい気もする

私の気持ちとも出来事とも関係なしに憂うつはやってくる。本当になんのきっかけもなく、思い当たるフックもない。正体不明の憂うつを持て余す。眠剤飲んでも眠れない、もう遅ぇかねぇ。

ただ今日はちょっと疲れたとか、そういうのはもちろんあったけどでもそんなに?こんなに引きずるほどか?夜くらい気持ちよく寝させてくれよ。そこのお前だよお前。

人と会いたいし会いたくなさすぎる。人と話したいけど何もかもをつかめないならもう最初からあきらめてしまいたい気もする。

自分の悲しみに寄り添ってもらえて私は少し泣くほど嬉しかった。もう読めないかと思っていたし。

ああ、あの素晴らしいライブがあったのにお前はまだ欲しがってるのかと私が私を叱責する。

眠剤飲んだのに全然トリップしてないな。昔はもっと没入感みたいなものがあった気がする。

酔っぱらってなんかない。お酒を買う習慣はないし、飲むとすぐ眠くなってしまうから。もう数年は飲んでいない気がする。昔は良く飲み会にかこつけて女の子から一口もらうのが好きだった。お酒をたしなんでみたい。

しかし私には引き出しもないのだ。あの時こうだったとかどうだったとかいう引き出しも文才もなくて、文章を書く体力も少なくて嫌になる。もっと書きたいはずなのに書くことが上手くでてこない。ああ文章っていいな、書くことがないって書くことができるから。

カラオケ行きたい。おわり。

Syrup16g HELL-SEE ライブ

syrup16gのツアー初日に行ってきた。初日に行くというのは私にとってすごく珍しく、千秋楽に行くのが常だった。初日の良さって言えば、演者の体力が残ってることと、ネットですぐネタバレを検索してもダメージがないことだと思う。

読み返したら曲とかじゃなくてほとんど自分の気持ちに触れた文章になっていました。

 

豊洲には馴染みがなく、全部が整えられている街だと思った。町じゃなくて街。好きな女の子のお姉さんがここに住んでいるらしいがなんか遠い存在って気がした。

 

私は「北風と太陽」で言ったら自分のことを北風のほうだと思っていて、もし今回のツアーをどちらかに例えるなら私にとっては太陽みたいなライブだった。

アルバムそれ自体は秋口の風みたいにひんやりしているし、ダウナー系なんだけど、最後の曲で全部持っていかれてしまった。私の日常とか最近思っていたこととかじんわり溶かしてくれるような音楽だった。

素晴らしい音楽の前に言葉を尽くしても無力だと思った。

一度に幸せがくるのはこわい。だから「一度にそんな幸せなんか手に入るなんて思っててない」のだろう。でもきっとそういう時もある。もちろん小さな不幸は編み込まれているかもしれないが、幸福が必ずそこにあるとき逃げ出してしまいたくなる私にとってでもその幸福に立ち向かいたいと思わせてくれる歌だった。

 

最近の私は薬の影響か精神が悪いのかわからないが、悲しみが大きくなりすぎない代わりに楽しいことや嬉しいことも前みたいに楽しくなくなってしまった。

具体的にいうと好きなアーティストのライブに行っても感動できなかったり、ちょっと高価な贈り物をもらっても嬉しいという気持ちがあまり湧いてこなかったり。嬉しい!より、嬉しいことはもうこれで一区切りだ終わりなんだなというようなことを思ってしまう。

syrup16gのライブは曲を聴いている間、自分の今の生活の輪郭が浮き彫りになってくるような感じがあって、その時々で沁みる音楽が違うし感想も違ってくる。

ただ、20年前のアルバムのツアーということもあって、私は「ex.人間」への思い入れが半端なく、泣いてしまった。

以前も書いたが、体調悪いときって何を食べていいかわからず、選びがちなのがお蕎麦で、あのつらかったときにこの歌に救われていたことを思う。

「少しなんかいれないと身体に障る」って言ってくれる彼女はいなくても、syrup16gの曲があった。

 

ライブっていうか集いみたいに、何歳になっても、ギター上手く弾けなくても手挙げる体力なくなってもまたライブで集まれたらそんな幸せなことはないと思う。

同じ会場にはいないけどいずれこのライブを聴くであろう人のことを思った。

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お誕生日おめでとうございます。今後も三人での活動を応援しております。ありがとうSyrup16g

 

 

あなたじゃない誰かの

あなたの好きなアニメを見ても私の細胞は少しも入れ替わらない

というのはウソで私の頭の中は少し揺れている。好きな映画もア

ニメも少しも似ていないのにウソだけで繋がれているのは見ない

ふりしてるのかわかってるのか私にはどっちでもいいことだから。

大事にしたいという思いがその瞳から伝わってくるのを見ないよ

うにしながら真っ直ぐに向き合わなくちゃいけないのは大事にし

たい人と向き合うよりはずっと簡単だと思う。「すごく寂しい」

「我慢するね」これもウソなのに私の声が少し揺れているのは

明日私はあなたじゃない誰かの