息が苦しい

同年代に比べて、劣っているなと感じる。

顔とか体とか成績とか家柄とかいろいろあるけれど、私は他人とのコミュニケーションが、下手というか、過剰というか、うまく調節できないから。

みんな、毎日あんまり悲しくないのかな、と思う。

死にたいってひんぱんに思わないのかな、それってとってもうらましいなと感じる。

もちろん外では誰にも言わないけれど。

わからない、みんな死にたいのかもしれない。絶望を抱えながら生きているのかもしれない。傷ついた心をひきずりながら、会社や学校に行っているのかもしれない。毎日電車に乗ろうとしても乗れなくて、寝ようと思っても寝られないのかもしれない。

自分だけがかわいそうだと思うな、特別だと思うな。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」。

 

大丈夫。私はまだやれる。何とか頑張れる。診察の日まであと10日。

ご飯を食べて薬を飲んでいれば大丈夫。たまにはぱーっとお金を使えば良い。大丈夫。上手く歩かなくても、こけてもいいよ。まだこうして文章を書けてるんだから。心配なんて何もないんだよ。

自分が泣く意味がわからなくて、抱きしめられたい。

抱きしめられたい。

最近道を歩いているとふとそう思うことが多くなった。

歌詞のわからない陰鬱な音楽を聴いている。心地よい。

抱きしめられたい。

台風が近づいて、まるで重力が狂ってしまったかのように体が重い。

抱きしめられたい。

あなたのそこにある体は私との隔たり。その隔たりによって、何よりも自分を感じたい。

 

寂しくてたまらないのだ。

悲しくて涙が出るのだ。

でも、なにひとつ理由がわからない。理由がわかれば、誰かに向かって、自分に向かって、怒鳴ったり話したりすることもできるだろう。

でも私には悲しむ理由がない。

理由がないのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 

抱きしめられたい。これに理由はいらない。

ただ、誰でもってわけじゃない、きっと。

化粧について2016

 

 

o-kamininaritai.hatenablog.com

 

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以前、化粧に対する記事を二つ書きました。

最近の私は、なんと!化粧を覚えつつあります。

別に就活のためというわけでもなく、化粧しろ妖怪に脅されたわけでもなく、きっかけが何だったのかは覚えていません。

百貨店でとりあえず下地とファンデーションと口紅だけ買って、後はインターネットで調べたり、アマゾンで買ったり。

ビューラ―、ホットビューラ―、マスカラ、眉マスカラ、涙袋ライナー、アイライナー、アイシャドウ、チークなど、とにかく無限に買うものがあって、別にやらなくてもいいものもあるし、でもやったほうがより綺麗なものもあって、化粧というのはとても複雑な世界だということを知りました。購入しても自分に合わないものだと、何千円という単位で損をする世界です。

もちろん、だからこそ自分に合うものが見つかると楽しいし、こうやるとより綺麗に見えるな!と発見した時も楽しいし、化粧がうまくできると嬉しいです。

毎日、思考錯誤しながらやっています。

 

相変わらず大人になることはこわいし、周囲に望まれる形で大人になるのはとても嫌です。だから、自分のペースでやっていこうと思います。

踏ん切りがつかなくて、大学にはまだノーメイクでいっています。女学生はほとんどメイクをしてきているのに。私にとっては、メイクをしたり着飾ったりしている自分を見せることが、とても恥ずかしいというか、勇気のいることなのだと思います。

 

また何か進展があれば書こうと思います。

いつか、自分を美しいと思えますように。自分を愛せますように。

 

秋だけが近づいてくる。

死は近づいてきてはくれない。

私が近づいて行くだけ。

詩はおりてきてはくれない。

ただ大地から湧き上がってくるもの。

私が感じられないだけ。

 

人生がつらくて泣いている。

何がつらいのか自分でもわからない。

ただ、泣けるうちはまだ大丈夫かもしれないと思う。

静寂だけになった時、私は死んでいる。

20歳もとうに過ぎて、いまだに死ぬだのと言っている。

一生、死ぬまでこうなのだろうか。

生かされているのに、死ぬことばかりに目が向くのは、死んだことがないから。

死んだことがあれば、きっと生きたいと思ったはずなのに。

小さく死ぬ方法もわからない。

 

秋がくるのに、私は。

秋がくるから、私はこんなになっちゃうんだ。