化粧という鎧

新年度が始まりましたね。みなさん疲れていませんか?すでに負けそうになっていませんか?

わたしは少しずつですが社会に戻っていっています。苦しいと感じる時のほうが圧倒的に多いですが、涙がでるほど心があたたかくなる時もあります。なんとかやっていこうと思います。

 

以前、お化粧についてわたしが考えたことを書きました。ちょうど一年前のエントリですね。

o-kamininaritai.hatenablog.com

 

以前のわたしにはメイク恐怖症とでも言うような、お化粧に対する強い拒否感がありました。やり方もわからないし、やりたいとも思えないし、自分の顔や心をさまざまなもので塗り固めるような気がしてとてもこわかったのです。

先日、母に連れられて初めて化粧品店に行ってきました。店員さんがその場でお客さんに合ったメイクをしてくれて、お客さんはメイクに使われたチークやマスカラから好きなものを選んで買うのです。

化粧をしてもらうときはとてもどきどきしましたが、完成したメイクを見てみると意外と悪くありませんでした。それは自分の顔が良いとか悪いとか関係なしに、メイクが顔の印象に馴染んでいたのです。化粧というのはわたしにとって不自然なものの象徴でした。ゴテゴテと下品な色の口紅や、触ったら指にはりつきそうな粉、不自然なくらい赤い頬、人工のつけまつげも何もかも不自然のかたまりでした。

結局その日は、アイシャドウと口紅と化粧下地を買いました。まだ一度も使えていませんが、少しずつ頑張っていこうと思います。第一関門クリアというところでしょうか。

就活や就職、また公的な場では女性はメイクをすることがルールになってきています。高校生の頃も、化粧をする授業が行われたことがあります。いまは普通のことなのです。普通のことができないのはつらいです。楽しめないのもつらいです。だからいまは苦手だとしても解け合う努力はしようと思います。

実際、化粧をしているというだけで女性というのはきちんとした人に見られるのです。洋服屋に行っても、買い物をしても、タクシーに乗っても、化粧をしているというのは誰にでも見える肩書のようなものだと思います。

わたしはなるべく他人になめられたくありません。そのために、化粧はひとつの鎧として機能してくれると思います。

きちんとしているということを周りにわかってもらうのはなかなか難しいことですね。

 

では、また。