認知のゆがみについて

「認知のゆがみ」って言葉はいまやかなり一般化してきて、インターネットなどでは頻繁に見られる言葉だ。

私も認知のゆがみ&こだわりがすごく強くて、それで苦しめられることが多々ある。というか日常生活はそれの繰り返しで、こだわりによっていろいろなことが破壊されていく(いや、破壊しているのは私なんだけど)。

 

普通の人(いわゆる健常者と呼ばれる、障害や病気を診断されていない人たち)は、臨機応変であることが求められ、それをこなせることがほとんどだと思う。私が言う臨機応変っていうのは、何もマルチタスクを完璧にやるとかではなく、たとえば契約上はAになっていたことがAAになっていても気にしない、みたいなことだ。

「あ、それはマニュアルにはそう書いてあるけど実はここの工程は省いていいんだよね」と言われて、「あーそうなんですね、了解です」といえる人のことだ。

はっきり言って私はこれができない。

その場では「はい、承知しました」と飲み込むのだが、後から「いや…でもマニュアルとちがう…いや、そんなもんだ、だってこれは健常者が作り上げた圧倒的に正しいマニュアルなんだから私なんかが口出すのはおかしい。ていうかみんなこれでやってきてるわけだから」…そしてそれがいくつも積み重なってある日ボカン!仕事に行けなくなる。馬鹿だと思う。

で、そういうことがあると支援員さんや医師や周りの人に相談する。そこで、「相手は悪気があってそういう対応をしたわけじゃない」、「ルールがちょっと軽視されてた部分があったのかもしれないけど、あなたを軽んじたわけじゃない」と言ってくれる。それで一旦は納得するんだけど、やっぱりつらい。私はルールとか時間とか決まりとかをかなり守るタイプなので、仕事上でそれを守れない人が信じられないんだけど、でもそれってあまり重要なことじゃなくて、守れなかったときにどう対応していくかが大事らしい。

なので、私がそれを守らないといろいろ言われるかもしれないが、相手が守ってなくてもそれは正社員の人だし、別にいいのだろうと思う。

 

何が言いたいかというと、私がやってることは全て認知のゆがみだったりこだわりだったりとみなされ、それが非常に悲しい。

私が言ったところでそれは結局発達障害者の言うことであり、それがこだわりなのか相手の対人間に対する配慮が足りないのかは非常に切り分けが難しいところなのだ。

だからといって「障害のあるものを差別するな!」とか闘う方向にいくと大変すぎるので、「あ、私の認知のゆがみですね、しかもちょっと躁っぽくなってますね、すみません」と切り抜けていくしかない。

闘い続けると最後には「なんかいつまでもこだわってる頭おかしいやつ」がただ一人取り残されているだけ。