「コクリコ坂から」って他の人から見たらどんな感じなんだろーと思い検索していたら宇多丸さんの感想を見つけて。で、彼の「おおかみこどもの雨と雪」の感想も読んだ。彼は割とこの作品を評価しているようだ。
一方私は「おおかみこどもの雨と雪」は好きになれず、どうしてこんなに好きになれないんだろう、とずっと考えていた。で、今日ちょっとその答えに近づいた気がする。
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これを書いた時と同じだ。要は「子供に対して責任を取ってほしい」ということだった。
上記の「こいのことば」はおじさんが女子中学生と恋愛するお話。私は、中学生に手を出したなら相手が自分から離れていくまでとなりにいる義務があると思う、できないならお付き合いしてはだめだと書いた。
雨と雪はどうだっただろう。雪はこれからも人間社会で生きていくようだから、花の元で生きるだろう。花も一所懸命に雪を育てると思う。しかし雨はどうか?雨は森で生きていくと言い、森の中へ走り去った。そう、私には「向かった」ではなく「走り去った」としか思えないのだ。雨がその後どうなるのか心配でたまらないのだ。学校にも行かず、狼として父親から手ほどきを受けたわけでもない彼が生きていけるのかどうか。
暴論かもしれないがどうしても思ってしまう。どうして避妊しないのかと。生きていくことは美しいことだけではない。努力だけでは生きていけない。雪が積もった森をびゅんびゅん駆け回る娘と息子を見て愛おしくて、胸がいっぱいでたまらない気持ちになっただろう。涙が流れるくらい幸せだと思っただろう。けれどそれはずっとは続かない。どうして産んだのか、どうして私は自分の人生を生きられないのか、どうして泣くのか、もう無理限界、消えてしまいたいと思うことはなかったのか。そしてそれを子供たちにぶつけたことはなかったのか。言葉に出さなくてもそれが子供たちに伝わってしまったことは無いと言い切れるか…。
感情的で、かなり自分の生き方や思いに左右された文章になってしまった。これは感想というよりは感情であり、映画のことはもはや関係ないのかもしれない。ただ、父親がおらず、社会にもなじめないまま森で生きなおそうとすることを手放しで許していいのか、花はもっとそれについて考えてほしかった。あの子は人間を求めて、また人間と子供を作るかもしれない。それが良いとか悪いとかは誰にも決められないけれど、生まれた本人たちが大変なことはちゃんと覚えていてほしいのだ。