幸せは幸せしか生み出さない

最近ねこぢるにハマっている。ねこぢるウィキペディアを何回も読み返したり、彼女の旅行記を読んだり、彼女の友人が彼女について書いた文章を読んだり。

とここまで書いて気がついたが、私は「ねこぢる」という作品にハマっているのではなく、ねこぢるという女性に興味があるらしい。彼女の創り出したキャラクターが好きだというのもあるが、彼女の生前の身長と体重が昔の私のものに酷似しているのだ。さすがに今は太ってしまったが、勝手に親近感を覚えたのだ。

ねこぢるの生きた跡を何とか追いかけたい、とねこぢるグッズをさがしているのだがなかなかみつからない。

本棚の本を減らさねばいけないのに、なぜか増えまくっている。一冊読むと、それに関連するテーマとか作家とか読みたくて仕方なくなる。だから増えるのは必然なのだ。頭の中に全ての本をおさめておけたらいいのにな。

 

ああ、ただでいろいろなブログが読めるなんて本当にすごいな。どうか私の好きなブログが消えませんように。

珍しく気分の良い日が続いていて、次に来る不快に怯えながら生きている。

生き残っている意味をさがせ

どうにも気分が上がらない。

雑事は良い。いつもは面倒くさいのだが、洗濯やクリーニングなど、しなければならないことがあると、それに集中していられる。雑事にかまけて、一瞬憂鬱を忘れていられる。洗濯機を回せば回すだけ、洗濯は進んでいく。それは本当に心地の良いこと。

楽しいことも驚くようなこともたくさんあって、生きる糧みたいなものだって定期的に与えられているはずなのに、全然楽にはならない。気持ちは浮ついたまま、苦しいままで。

時々、苦しんでいる自分が好きなんじゃないかと考えることがある。悩むことはもはや趣味に近くて、私は自分をかわいそがってなぐさめることでしか生きていけないんじゃないかと。想像の世界に、あちらの世界に片足を突っ込んで生きてるんだろう。あちらには行きたくない。あちらは本当じゃない。あちらは本意じゃない。じゃあこちらは?

適応出来る人間になりたい。適応できないから文章やら何やらがうまれるというのはあると思う。けれど、何もうまない生き方が、もし、私の妄想している平常な精神、普通の心を持てる生き方なら、いったい私はどちらを選ぶだろう。

死ぬほど安寧が欲しい。安息が欲しい。息しなくて良いようになれば、もう何も考えなくて良い。答えは出ている。

坂元裕二が物語を作らない世界は満たされているのか、満たされていれば幸せなのか

今日はプレゼントなどを求めて、同じところをぐるぐるぐるぐるした。他の人に差をつける!私の愛が一番大きいことを示すのだ!と意気込んで、祝儀袋を買った。たぶん、いや、絶対届かないけど。妊婦さんを見て、彼女が妊娠しているところを想像して苦しくなった。これは恋なんかじゃない。もっと汚い思いだ。

 

年上の男性から思いを吐露されるのは嫌いだと思っていたけど、いつもきちんとしている人の口から語られるそれは悪くないものだと感じた。もう潮時かもしれない。

 

うーん。いろんなことをしすぎたせいかちょっとハイになっているらしい。何かが変わり始めているのを感じる。それは私の中で起こっている。お金を貯めろ、お金を使え、そして人と話して、見て聴いて嗅いで、書け。全部書け。もうそれで、しばらくはそれで。

 

人間関係はおおむねうまくいっている。昔はもっと苦しんでいたのに。人と深く関わらなくなったからだろうか。それとも、年齢と共に楽になってくるというのが人生なのだろうか。私の能力も少しは上がっているといいな。

 

ああ、こういう穏やかな気持ちだけでずっと生きていけたら。

いや、私は満たされないからこそ生きているのかもしれない。

 

私は坂元裕二の書く物語が好きなのだけど、坂元裕二が物語を作らない世界ってたぶん満たされてるよね。でも満たされてることと幸せってイコールなのかな。幸せになりたいって漠然と思うことがあるけど、じゃあ満たされたら、私が生きてる証ってどこにあるんだろう。痛みって生きてる証拠で、もっと健全な形で生きてることを感じられたらそれが一番いいのかもしれないけど、いまはこれがせいいっぱい。

満たされること、幸せになること、生きること。似ているけど、全部違うんだな、全部のこともっと考えなきゃいけないなと思った。私は真理に辿り着かなきゃいけない。そのために、考えることをやめてはいけない。

そしていつか、胸を張ってあなたに会う。

今朝、初めて指輪が欲しいと思いました。

やらねばならないことがある。

それはアイロンがけや洗濯や、新しいハンカチを買うことだったり、ささいなことかもしれないが、やらねばならないことである。

 

今朝、初めて指輪が欲しいと思いました。指輪をはめて、その手を少し空にかざして眺めたらきっと美しい気持ちになれると思います。けれどそれはまだ先のこと。私は他の人と同じようにするのが恥ずかしくて、人前で手をつなぐことも、貴金属をねだることもできないのです。その気持ちを汲み取ってくれる男の人が居たら、幸せな気持ちになれるでしょうか。

 

私のような女と付き合ってくれるだけで幸せだと、私が言います。その通りだと思う反面、自分を低く見積もらなくてもいいのではと思います。私は、認知が歪んでいるのだろうか。

 

何をしても悲しいとき、私は心が貧しいのかなとまた悲しくなる。いつになったら終われるのだろう。いや、終わろうと思えばいつだってそうできる。やらないだけなのだ。それは、ささいなことのひとつに数えられる、多くの人には重要でない出来事。

 

昨日は写真を撮りに出かけた。一枚も良いなと思うものが撮れなかった。iPhoneで撮ったもののほうが美しい気がした。本当は人を撮りたい。

無性に破滅したい夜に君のことばかり考えて父と兄と恋人のぜんぶをこなしてほしい

眠れない。調子がいい時っていうのはたいてい落とし穴の前を歩いているようなときで、私は気づかずに笑いながら、ゆっくりとその地面を踏み抜く。その後のことはもうわからない。真っ暗な場所で、泣いてみたりぼーっとしてみたりする。

君はどこにいるんだろうか。

君って一体どの君なんだろうか。

私はいつでも一発逆転を狙っている気がする。私を愛して、同時に自由と安心をくれる人が現れて、二人で幸福に暮らせることを夢見ている。いつかそんな日が来るんじゃないかと思っている。

無性に破滅したい夜。肉欲に溺れて、今までのことを一晩で台無しにしてしまいたい。

ああ、私はトリップしている。

 

君はどこだ。

最近は君のことばかり考えて夜を過ごしているよ。光熱費とか食費とか気にせず暮らしていけたらいいのにな。心配ないよって笑いかけてくれる人がいたらいいのにな。

お父さんとお兄ちゃんと恋人、ぜんぶほしい。おねがい。

自分には何にもないような気がして悲しくなる。誰かの声が聞きたい。でもそれは誰の声でもないような気もする。究極しにたいんだよ。

何も思いつかない。悲しい想像ばかりふくらむ。ここには最低限のものがあって、私は愛されてるはずなのに、一個が上手くいかないだけで駄々こねて、焦って、もうどうしようもないような気がしてくる。助けてくれって言う人もいないよ。みんな孤独な夜をどう過ごしてるんだ。みんなこんな日をどう過ごしてるんだよ。ねえ。