坂元裕二が物語を作らない世界は満たされているのか、満たされていれば幸せなのか

今日はプレゼントなどを求めて、同じところをぐるぐるぐるぐるした。他の人に差をつける!私の愛が一番大きいことを示すのだ!と意気込んで、祝儀袋を買った。たぶん、いや、絶対届かないけど。妊婦さんを見て、彼女が妊娠しているところを想像して苦しくなった。これは恋なんかじゃない。もっと汚い思いだ。

 

年上の男性から思いを吐露されるのは嫌いだと思っていたけど、いつもきちんとしている人の口から語られるそれは悪くないものだと感じた。もう潮時かもしれない。

 

うーん。いろんなことをしすぎたせいかちょっとハイになっているらしい。何かが変わり始めているのを感じる。それは私の中で起こっている。お金を貯めろ、お金を使え、そして人と話して、見て聴いて嗅いで、書け。全部書け。もうそれで、しばらくはそれで。

 

人間関係はおおむねうまくいっている。昔はもっと苦しんでいたのに。人と深く関わらなくなったからだろうか。それとも、年齢と共に楽になってくるというのが人生なのだろうか。私の能力も少しは上がっているといいな。

 

ああ、こういう穏やかな気持ちだけでずっと生きていけたら。

いや、私は満たされないからこそ生きているのかもしれない。

 

私は坂元裕二の書く物語が好きなのだけど、坂元裕二が物語を作らない世界ってたぶん満たされてるよね。でも満たされてることと幸せってイコールなのかな。幸せになりたいって漠然と思うことがあるけど、じゃあ満たされたら、私が生きてる証ってどこにあるんだろう。痛みって生きてる証拠で、もっと健全な形で生きてることを感じられたらそれが一番いいのかもしれないけど、いまはこれがせいいっぱい。

満たされること、幸せになること、生きること。似ているけど、全部違うんだな、全部のこともっと考えなきゃいけないなと思った。私は真理に辿り着かなきゃいけない。そのために、考えることをやめてはいけない。

そしていつか、胸を張ってあなたに会う。