春休みの振り返り

 2月はひたすらだらだらだらだらしていましたが、3月はお友達に会ったり、東京旅行したりと楽しかったです。ちょうど同じタイミングで東京に来ていたはてなーの方がいらっしゃったようで…あと2~3年以内にツイッターはてなで出会った人とオフ会するのが夢です。

 今回も美術館とか観光とかいろいろ行きました。スカイツリーの近くまで行くも登りはしなかったり(高いから…)、秋葉原でお肉を食べまくったり。東京はお金が湯水のように無くなるなあと改めて感じました。年に何回も行くわけではないので、けちけちしないように心がけてはいますが。若い頃はお金が無くて、歳を重ねると時間と体力が無くなるんですよね。だから、いまのうちに色々出かけておかねば!と思ってます。東京ばかり行っているので、京都とかも出かけてみたいです。

 最近の私はすっかり落ち着いていて、それは春休みだからというのが大きいと思います。学校に行かなくていいし、人間関係で心乱されることも無い。人からみたらなんてつまらないと思われるかもしれませんが。

 学校が始まったら、また荒れるんだろうな~と思います。

 東京から帰ってきてずっと体調を崩しているので、とりあえずは静養します。

 

朝は神様を信じていても、夜は男の人と笑っている自分が気持ち悪いの

不安なの。不安なの。こうなったらもう、ひとつの魂に還るしかないの。

あばずれとかビッチなんて呼ばれたくないの。こわいの。軽蔑されることが。私のやっていることはそんなに大きなことではないと思うけれど、男の人とご飯に行くことを穢れのように思う人もいるわ。罪悪感も人の言葉も、もっとうまく受け流せたら良いのに。

どうすればいいかわからないの。私にとって正しい道はなに?

朝は神様を信じていても、夜はそんなことも忘れて男の人と甘いお酒を飲んでいる自分が腹立たしい。

大した価値なんかない、と言われたいの。その一方で認めて欲しい私もいるの。自分の中の相反するものがうまく分けられなくて苦しいの。

私なんて…そういう人間ほど、自分を高く見積もっているの。だから、できない自分に気づいたとき、嫌気がさすのね。それを知っていながら、悲しむゴッコをやめられない私は、なんて罪深いのかしら!!!

悲しみの感度

 尊敬している人が去ってしまう。死ぬのとは違うけれど、去るということはとても悲しく寂しくやりきれない。今日はそのことがずっと頭から離れず、泣いたり寝たりをくり返していた。

 私が一番傷つくときは、自分自身の悲しみを悲しんでいるときではなくて、誰かの気持ちを想像したときである。もちろんその人が、私の想像したように悲しんでいるかどうかなんてわからない。数値化も、はかりに載せることもできない。ただ、その人がいまどんな思いでいるのか想像すると悲しくて仕方がない。その人自身、その人を尊敬していた人、その人を好きだった人…みんなの心を想像するとつらい。

 人は、大げさとか偽善者と言うかもしれない。私も、自分はどこかおかしいのではないかと思っている。こんな風に考えすぎるのは異常なのだろうか?誰かの心に寄り添いたい。ただ、悪意や鋭い言葉は悲しい。それを使わなければいけないくらいその人が傷ついてしまったのも悲しい。こんな時はどうすればいいのかわからない。

 誰かに共感してほしい自分がいる。悲しい気持ちを受け止めてほしい。でも、いまは誰もその力が疲れ切っている。声が、ききたい。

電波は下水道とかにつながっている

 電話をかけて相手があまりにも出ない時は、xxxxxxという名前の誰か別の人にかけてしまっているのかもしれないと思う。もしくは、下水道か宇宙につながっていて、相手は一生出るはずなんてないのだと想像する。ラインもメールも返ってこないなら、私はどうすればいいんだろう。文明に頼りすぎて、相手にすぐ返事をもらうのが当たり前になってしまっているから、もしラインも携帯電話も何もかも消滅しちゃったらどうしようって時々考える。私、どうやって彼と連絡をとればいいの。

 将来への不安みたいなものがいらだちをつのらせる。お金はいくらあっても足りない。支援者はいればいるほど良い。寒い冬は朝を遅くする。くもりの日はドアを遠ざける。雨の日は頭が痛いから、生きるのをためらってしまう。あまりにもうまくまわらない。

 いつでも死ねるから、それだけは設計上成功したね、と思う。

「本当の友達」ってなんだ?

 自分の友達に対して違和感を持つことはありますか。

 私は最近そういうことが何度かありました。こいつ、昔と変わったなと思ったり、話が合わなくなったなと感じたり。お互い違う環境にいるからか、年齢を重ねたからか。それとも私が変わってしまったのか。

 長い間会っていないと、何を話していいかわからなくなります。何年も会っていなくても、昔のように話せるのが「本当の友達」なのでしょうか。

 近頃、この「本当の友達」というものについてよく考えます。そんなの本当に存在するのだろうか。コミュニケーションというのは自己開示しまくればいいってものではないし、何でも話せるイコール「本当の友達」ではないと思う。太宰治人間失格で書いている「世間」のように、「本当の友達」というイメージに私が縛られ過ぎているだけかもしれない。

 けれど、20歳も過ぎて友達がいないというのは、焦る。正直焦ります。遊びに行ったりご飯を食べたりという友達は居るけれど、「本当の友達」かと言われれば違う気がする。わからない。

 知人は「離れていても、何年も会わなくても自分のことを思っていてくれると信じられる相手」がいると言っていた。それが「本当の友達」かもしれない。わからない。

 私はいま、すごく大切にしたい人が何人かいる。そういう気持ちがあればそれでいいのかなとも思う。たとえ、相手が私のことをその他大勢としか見ていなくても、私はその人たちのことが好き。自分が相手を思う気持ちが確かなら、それでいいのかもしれない。

 あなたには「本当の友達」がいますか。