愚痴と変わった愛情表現

 

tigtig8.hatenablog.com

 

 

 読みました。

 愚痴、って心が苦しくなりますよね。いや、私も言う時はあるんですよ。あの人なんなんだーとか、これって私が悪かったのかーとか。でもそればっかり話すのはきついよねというお話。

 最近、高校の頃の友達と久しぶりに会ったのですが、その子がものすごく愚痴を言う人で、とてもつらくなりました。高校の時よりも過激になっていて、会話の8割が愚痴でしたね。人は人を切り捨てなきゃ生きていけないというような話をしていて、私はそんなことはないと思ってるんですが、その子にそう言わせてしまうだけのつらいことがあるんだろうし、実際世の中というのは厳しいものなのかもしれません。愚痴って、楽しいことよりも言いやすいのだと思います。でも、できれば楽しいことを見つけて生きていく人生のほうが良いなあ。簡単に縁を切るとか、そんなこと言わないで生きていきたいなあ。それじゃだめなのかな。

 あと、男の人で弱みを見せてくる人があんまり好きじゃないです。いやいや、それは腹の中にしまっておこうぜって思います。仲良くなったから弱みを見せたり相談したりするというのはもちろん理解できるのですが、いくつも年上の男の人が弱いところを見せてくるといらっとします。甘えんなよと思ってしまうのです。

 この人は受け入れてくれそう、と思われているのでしょうか。この人なら何言っても否定してこないだろうとなめられているのでしょうか。そういった態度に萎縮して、ますます自信を無くしてしまう冬なのでした。(ちなみに本人はこのブログを見ていませんので、どきっとした人がいてもあなたには関係ないです。大丈夫ですよ)

 

 あと、話が逸れるんですが、悪口にしても好意にしてもあまりはっきり言いすぎるのは美しくないですね。最近女の子同士で「私はxxのこと大好きだから~」「私も~」というような会話を聞いて、私にはできないなと思いました。そういうのはたまに言葉にするから美しいのですよ。人前で言いすぎると、なんだか周囲へのアピールのように聞こえます(できない者のひがみでしょうか)。それから、悪口で愛を表現するのも意味不明ですね。「xxはブス」(xxはアイドル)と言っている子に「嫌いなの?」と聞いたら「愛してるがゆえのなんちゃら」と言っていました。最近こういう愛情(愛憎?)表現の形が流行っているのでしょうかね。おわり。

 

楽なはずなのに苦しい気もする日記!

 寝るか食べるかインターネットかという不健康な生活を送っている。休みに入って10日ほど経つが、人に会っていないし、会話もしていないし、外に出ることも少ない。けれど、学校が無いというだけで本当にストレスが無くてびっくりしている。朝起きた時の吐き気もないし、体のこわばり、緊張感、焦り、憂鬱が皆無に等しい。ああ、素晴らしい毎日。けれど、これは春休み明けに学校が始まるからこそだろう。無職だったらたぶん毎日つらいと思う。ああ、今本当に楽。楽しいかどうかと問われれば、刺激も無いし、つらいことが無いぶん楽しいこともない。けれど楽。これでいいのかなーなんて思う時もあるが…。周りの大学生はきっと旅行やらバイトやら遊びやら勉強やらやっているのだろう、それに比べて私は…と憂鬱になるときもある。だが、そんな世間の価値観がなんなのだ!と強気な自分もいる。3月にはたぶん東京に行くだろう。だから良いのだ。

 他人と自分を比べたくない。私はひきこもる。外の世界は苦しいから。9月からずっと頑張ったのだから、しばらくは家の中でずっとずっと暮らすのだ。ああ、誰かに君は正しいと言われないと安心できない。なぜだ!

人をほめたいという欲求と、「ジョニーは戦場へ行った」を見た話。

 昨日男の子と話した時に、「狼さんって人にすごく気を遣うよね」と言われた。人をほめるということが多いらしい。自覚はある。かわいいねとか、話を聞くのがうまいねとか、瞳がきれいだねとか、思ったことは口に出したくなるのだ。それは自分が言われたいわけではない。いや、もちろん人にほめられることは嬉しいのだが、その人に言われたくて言っているわけではないのだ。その時は本当にそう思って、ほめ言葉を述べている。ほめたいという気持ちと、自分がほめられたいというのは別のものだと思っている。

 人に気を遣うというのも当たっていると思う。そして、人に気を遣っているというのが伝わっているなら、相手に気を遣わせてしまうわけであって、気づかれない気遣いができたら一番良いのにと思う。

 

 昨日は、「ジョニーは戦場へ行った」を見た。タイトルではジョニーとなっているのに、劇中ではジョーと呼ばれているので、レベッカベッキーと呼ばれるようないわゆる愛称みたいなものかなと思ったら、違うらしい。志願兵募集のキャッチコピー「ジョニーよ、銃をとれ」をもじっているのだとか。

 死ぬより苦しいことってのは、ある。あると思う。四肢がなくなるのもつらいし、身体があって精神的におかしくなってしまうのもつらい。

 あの映画は医療倫理の話でもある、と2ちゃんに書いている人が居て、確かにと深く納得した。反戦映画や信仰の話として見てしまいがちだけれど、医療の問題でもある。あの看護師さんはすごく良くて、彼女がいなければあの映画は見るのがつらいものになっていたと思う。精神世界の部分が少し冗長だからね。少しエヴァを連想した。

 一番良かったのはメリークリスマスのシーン。先週見た「戦場のメリークリスマス」に続いて、メリークリスマスという言葉及びクリスマスの日というのは、人にとって特別な意味を持つのだと思った。特にアメリカの人にとっては。

 トラウマになったとか、後味が悪いという感想も散見されたが、私はこの映画があの時代に作られたということに感心してしまった。すごいよ。この映画が世に残ったことに、ただただ感動してしまった。あと、モールス信号覚えなきゃと思った。そんな感じです。見て良かった。

わたしさえいなければ、は自意識過剰なのか?

 俺、いらなくね?って思うことが多々ある。 http://anond.hatelabo.jp/20160129051836

 

読んだ。

私は「私がいなかったらうまくいったことたくさんあったのになあ」と思う事が結構ある。生きていてすみません、みたいな。でも、それって自意識過剰だよなあとも思う。

 

今日も、彼女がいる男の子とお茶をして、これっていけないことなのかなあと思った。お茶するくらい、って私は思うんだけど。そう思わない人もいるみたい。

尻軽、とか、男好き、とかいろんな言葉が浮かぶ。でも、楽しいほうを選んでしまう。

 

男の子とお茶しただけなのに/男の子とお茶するなんて。

銀河鉄道999が素晴らしすぎた…。

お前は大学をやめたほうがいいのでは…?というようなひどいレポートが完成してしまった…。

しかし!!私は負けない!!もっと良い物が書けるように頑張るんだい…頑張るんだーい!!

 

最近、電子書籍の無料コーナーで無料漫画ばかり読むというイケナイ行為にハマっている。昨日は柴門ふみを何冊か、そして銀河鉄道999を3巻まで読んだ。おい!!銀河鉄道めちゃくちゃ面白いじゃんか!!!!なんでこんな名作があるって教えてくれなかったんだよーーー!!びっくりしたよ!!メーテル!!!お嫁さんなら響子さん、恋人なら不二子ちゃん、お母さんならメーテルで決定でしょコリャ。あ、でも私のお母さんは碇ユイさんだからなぁー。早く続き読みたい。

柴門ふみはやっぱおもしれえなあーと思いつつ、「小早川伸木の恋」という作品の奥さんがこわすぎて震えた。いやいや、いろいろ事情があるのはわかるんだけどさ、ちょっとヘビー過ぎやしないかね。みなさんも読みましょう。

柴門ふみといえば、最近ハマってる(まだドラマ版2話までしか見てないが)「東京ラブストーリー」の続編が発表されたらしい。いつか読む。

 

毎日毎日いろんなことに追われておかしくなりそうだが、辛いときには辛いことを思い出そう。そう、あの何もできない日々よりはマシさ。起き上がれずに、何も悲しくないのに涙がこぼれる日々よりは。

というわけで、今日も深夜ラジオをお供に頑張りましょー。