さよならを教えて 田町まひるルートクリア

さよならを教えて」、田町まひるルートクリア。仔猫のようなツインテールの女の子。

このゲームは一度でもクリアするとゲーム上の仕掛け(?)がわかるようになっているのですが、まあそれは私もクリア前から何となくわかっていたことなので割愛するとして、それよりも天使の言葉に胸をえぐられる。そう、私は何かを救いながらも支配したいし、それが万が一にも自分の手から離れるようなことがあればそれはそれで嫌なのかもしれないと、自分自身の中の弱さと願望を見せつけられました。願望は欲望とは違って、もしかしたら欲望よりもっときたないものかもしれない。だって欲望に理性は無いけど、願望には理性があるもの。理性がありながら恐ろしい事を願っているなんて。

自分を投影するということについて考えた。彼(主人公)は女の子たちの中に自分を見ている。彼女たちに優しくすることで自分に優しくして、癒されている。そこに実体が無くてもあっても本当は同じなのかもしれない。他者を通して自分を見ているだけで、私はコミュニケーションなんて行っていなくて、何の関係性も築けていないのかもしれない。そう思うと本当に恐ろしくなってくる。私がかつてエヴァンゲリオンで得た教訓「結局他者がいなければ生きていけない」というのは、本当には何も理解していなかったのかもしれない。私は他者を見ていたか?そこで自分の中になおさら沈み込んでいっただけではなかったか?

自問自答と関連付けが続く。私の中で思考のループと掘り起こしが行われ、意味がわからなくなっていく。真面目に考え過ぎるからいけないのですよ。とりあえずしばらく寝かせてからプレイしたほうが良さそうだ。私の精神と脳が酷使されてしまう。でも虚構の世界で傷つくなら、現実で傷つかなくても済むかもしれない。あ、いけない、それじゃ彼と同じになっちゃう。

さよならを教えている

さよ教、四日目までプレイ。すでにヤバさしかない。5人の少女と知り合う。屋上、教室、図書室、廊下、弓道場…。彼(主人公)の意識は混濁していて、現実と夢が重なり合いすれ違っている。どこからが虚構なのか、どこからが現実なのか。既に聞こえない言葉も出始めている。天使さまとは一体なんなのか。彼を救う者か?

夕方という時間にだけ生きることができる彼。その気持ちは少しわかる気がする。精神が弱ってしまうと、夕方から元気になるとか、深夜は活動できるとかそういうことが起きる。同じなのだろう。彼が正気を保っていられるのは夕方だけなのだ。教育実習からの束の間の解放、一日の終わり、夕陽の沈む頃だけが彼の心が安らぐ時間なのだ。

さよならを教えて」とは一体誰の言葉なのか。教えるのは教育実習生である彼か、それとも…。

 

このゲームは音楽がとても良い。私は音楽を聴いてこのゲームをやろうと思ったのだ。「さよならを教えて」というタイトルのそれは、不思議なサウンドだ。夕方という時間によく似合う、ずっと聞いていると意識が混濁してくるような感じ。この音楽を聴いていると、音楽が物語を彩っているのではなくて、物語が音楽を彩っているような気すらしてくる。

エロゲつながりでいえば、ホワイトアルバム2も楽曲が素晴らしかった。力のある曲というのは魂を持つ。春希がかずさのピアノを求め、かずさは春希に応え、雪菜は二人の魂ある演奏に歌を加えた。音楽に力があったからこそ三人は出会えたし出会ってしまった。

 

三島由紀夫が「君がインドに行くのではない、インドが君を呼ぶのだ」というようなことを言っていて、それは個人のカルマによるものらしい。私は「さよならを教えて」に呼ばれたのだと思う。私が今この時このゲームをしなくてはいけない何かがあるのだと思う、きっと。

 

今回の記事は魂とかカルマとか出てくるが精神に異常をきたしているわけではない。では、また。

 

 

 

18禁ゲームと来週のこと

来週は人に会う予定が三つもあって、普段「はい」とか「なるほど」しか発しない私にとってはとても忙しい週になりそうだ。

どの約束も楽しみで、疲れるけどきっと楽しくなると思う。けれど、自分に幸せな時間がたくさんあるということがなんだか不安で、エロゲを購入することでバランスを保とうと思っている。タイトルはあの悪名高き「さよならを教えて」である(ほめてます)。ダウンロード版が発売され、なんと3000円以下でプレイできるようになっているのだ。価格が高騰しているエロゲは全部こうなったらいいのになあと思う。

高騰していなくても、フルプライスのエロゲは9000円くらいするので、なかなか手が出ない。エロゲ界に全然貢献できてないな…と思いながらも中古を漁る日々である。

そもそもエロゲは私の中で、漫画や映像作品よりも優先順位が低くなりがちだ。欲しいものリストにいれて一年経つ作品とかいっぱいある。きちんと時間をとってプレイしなければいけないし、家でしかできないことが難点だと思う。かといって外でプレイできるようになってもやらないだろう。あと時間帯も大事なのだ。昼間とか夕方はなんとなく気分が上がらず、夜に一人静かにやるのがエロゲなのである。

さよならを教えて」はプレイすると精神に異常をきたす場合があるようなので私の様子がおかしくなったら「エロゲをやめろ!」と注意してほしい。まあいつもおかしいからあんまり変わらないかもしれないが。

 

自分が美しい・楽しいと、必要以上にこれは私じゃない汚れなきゃ傷つかなきゃみたいに思ってしまうの、なんなんだろうか。私はいくらだって幸せになっていいのになあ。

あしたはもうすこし

苦しい。疲れているのか、それとも何か他の原因があるのか。

 

テレビで発達障害についてやっていた。真面目に見たので疲れた。

0.01と0.7の視力の人がいたらどうしても0.01の人を取り上げてしまうけれど、0.7の人も苦しい。グレーゾーンの人ももっと取り上げられたらいいなあと思った。

 

購買意欲が湧いてくるが、買いに行く気力がない。何かを買う気力がない。こまごましたものなら良いのだが、洋服は試着しなければいけないし、なかなか高価だからおいそれとは買えないのだ。素敵なブルーのスカート、一人で動物園をやっているみたいなスカート、白いTシャツ。もう少し、もう少し元気になったら迎えに行くから待っていて欲しいな。

 

全てのことが遠ざかっていく。暑さの中で何もかもがとけて、瞳の奥でとろけてしまった愛情が反射して、愛してくれない人を好きになる。おい、お前は一体何を考えている。問いただしたくなる気持ちを抑えて、効かない睡眠剤を飲み干す。

 

もう怯えなくていい

うまく言えないのだけど、何も考えずに、死の事も思わずに生きていけば楽じゃないかと思っている。つまり社会にうまく組み込まれるように生きていくということだ。順応して適応して、私は社会の一部として生きるのだ。今の私は本気で言っている。そんなのこわいって思っていた自分もいたけど、今はそんなにこわくない。うまく組み込まれていけば、私ももっと上手に、少なくとも下手じゃない生き方ができるかもしれない。

 

美しい人、きちんとしている人、ハキハキとしゃべる人を見てももう怯えなくていいんだ。私の生き方を矯正しなければ。私は間違っている。私の人生は特別でもない価値のないものだということを理解して生きていくべきだ。

 

 

わからない。私は何を言っているのだろう。私は自分がとても大事な気もするし、全く捨ててしまいたいような気もする。矛盾の中で生きていくのは苦しく、毎日を重ねてその先に何があるのかわからない。大丈夫だよと教えてほしい。