ピンク色の悪口

今日はちょっと精神が悪い日であった。

いろいろとショックなことが重なって、精神が乱れ、みんなが私に死ねと思っているような気がした。いや、こういうのって、誰よりも一番そう思ってるのは自分自身なんだけどね、たいていの場合。

中華料理屋で奥に座ってた、ピンク色のTシャツを着た太った男性が私を見て悪口を言っているような気がした。

自分の存在理由などについて思いを巡らせ、少しずつ泥沼にはまっていったのである。苦しかった。今はまあ合法的ドラッグで精神が少しは上向いているが、明日も落ちるだろうし、明後日もすぐ平常心に戻れるかはわからない。こわいけど、一日一日をやっていくしかない。

 

夜はまあ心惹かれる人と電話して、でも私はその人とつながれることもないだろうし、心通わせられるかどうかもわからないから、寂しさと嬉しさが同時にやってきて、後には虚しさが残る。

あなたに触れてみたい、なんて私が言えることではないものね。

何年先にはどうなってるかわからないって言ってくれた人もいたけど、私は今それが欲しくてたまらない。ああ、苦しい。

安心はどこにもない。死んでしまいたい。

決壊

しゅうまつは着実に近づいている

のに妙に明るい音楽を聴いている

ぱちんぱちん、と

指を鳴らしてはしゃぐ夜

その音は

一瞬で何かが終わってしまうようにも

聞える

 

朝が近づこうとも

霧が立ち去るのはまた

別の話で

雨傘をさしても

柄をつたって

僕の手首に

いくつもの

細い川ができる

皮膚の下の感覚があいまいになり

もうひとつの川を

みずから決壊させてしまう

鈍い痛みは

またひとつの川をつくる

 

ぱちんと世界が生まれる

なんていうのは嘘で

夜明けはいつも

しみだしてくる

 

朝は無音を連れて来て

しばらく横たわっていたが

だんだんと

あの音

せまってくる

 

夜明けのにおいをかいで

音の方向をかぎとれ

 

窓を開けると

芝刈り機の音が

耳についたので

ぱちん、と

決壊した

「さよならを教えて」高田望美ルートと目黒御幸ルート、クリア―

さよならを教えて」高田望美ルートと目黒御幸ルートクリア―。残りは二人かーいやーきついっす。

望美はまあ好きな感じのキャラだったんだけど、CGがグロかった…。

そもそも屋上に居る少女が好きなんですよね。屋上系少女といえば「天使のいない12月」のトン子こと透子もそうでしたね。雪緒もまあそうかな。こっちは「天使」がタイトルに入ってますが「天使のいない」ですからね。さよ教は天使がいるからこそいろいろ面倒なことになるし、天使はいないんだよってことを認識しなきゃいけないんだけど、そこにも至らないという。そういう意味では鬱度が上なのは、圧倒的にさよ教でしょうね。そもそも天いなは鬱ではなかった。ちょっとばかり暗めというか。でも音楽とCGが綺麗だし、エロゲ入門にはいいんじゃないかな。キャラも可愛いし、始まりはなかなか衝撃的で、今でも覚えてます。

 

目黒御幸はなんだか自分と重ねてしまってつらかった。図書館と本が好きで内向的な少女。

そして毎度毎度天使様の言葉がつらい。ところどころはしょっていますが大体下記のような感じ。

「結局、先生は逃げて行ってしまうんです…
先生は、自分が一番大事なんです
ちゃんと見て欲しかったのに…
先生は自分のことが一番好きなんですよね。誰でもそうだから仕方ないけど…
自分に似た相手が一番好きだから…簡単に理解できる、自分の力量では把握できる相手にしか心を開けないから…
嘘。可哀想な自分を、でしょ?自分に似た相手に自分の理想を投影して、理屈だけの世界に逃げ込んで安心してるんです
自分の手の届くところに、自分の思い通りになる相手を閉じ込めて、自分以外の何かを救うフリをするんです
先生に、私のこと、ちゃんと見て欲しかった…」

私に言ってるのか?私を責めてるのか?私はそんな…私はただ…と言い訳したくなるような、もう何も言い返せないですよ、こんなこと言われて。好きな人にこんなこと言われたらもう、どうすれば。

 

次のルートでは彼女のことをちゃんと見られれば良いのですが…。

さよならを教えて 田町まひるルートクリア

さよならを教えて」、田町まひるルートクリア。仔猫のようなツインテールの女の子。

このゲームは一度でもクリアするとゲーム上の仕掛け(?)がわかるようになっているのですが、まあそれは私もクリア前から何となくわかっていたことなので割愛するとして、それよりも天使の言葉に胸をえぐられる。そう、私は何かを救いながらも支配したいし、それが万が一にも自分の手から離れるようなことがあればそれはそれで嫌なのかもしれないと、自分自身の中の弱さと願望を見せつけられました。願望は欲望とは違って、もしかしたら欲望よりもっときたないものかもしれない。だって欲望に理性は無いけど、願望には理性があるもの。理性がありながら恐ろしい事を願っているなんて。

自分を投影するということについて考えた。彼(主人公)は女の子たちの中に自分を見ている。彼女たちに優しくすることで自分に優しくして、癒されている。そこに実体が無くてもあっても本当は同じなのかもしれない。他者を通して自分を見ているだけで、私はコミュニケーションなんて行っていなくて、何の関係性も築けていないのかもしれない。そう思うと本当に恐ろしくなってくる。私がかつてエヴァンゲリオンで得た教訓「結局他者がいなければ生きていけない」というのは、本当には何も理解していなかったのかもしれない。私は他者を見ていたか?そこで自分の中になおさら沈み込んでいっただけではなかったか?

自問自答と関連付けが続く。私の中で思考のループと掘り起こしが行われ、意味がわからなくなっていく。真面目に考え過ぎるからいけないのですよ。とりあえずしばらく寝かせてからプレイしたほうが良さそうだ。私の精神と脳が酷使されてしまう。でも虚構の世界で傷つくなら、現実で傷つかなくても済むかもしれない。あ、いけない、それじゃ彼と同じになっちゃう。

さよならを教えている

さよ教、四日目までプレイ。すでにヤバさしかない。5人の少女と知り合う。屋上、教室、図書室、廊下、弓道場…。彼(主人公)の意識は混濁していて、現実と夢が重なり合いすれ違っている。どこからが虚構なのか、どこからが現実なのか。既に聞こえない言葉も出始めている。天使さまとは一体なんなのか。彼を救う者か?

夕方という時間にだけ生きることができる彼。その気持ちは少しわかる気がする。精神が弱ってしまうと、夕方から元気になるとか、深夜は活動できるとかそういうことが起きる。同じなのだろう。彼が正気を保っていられるのは夕方だけなのだ。教育実習からの束の間の解放、一日の終わり、夕陽の沈む頃だけが彼の心が安らぐ時間なのだ。

さよならを教えて」とは一体誰の言葉なのか。教えるのは教育実習生である彼か、それとも…。

 

このゲームは音楽がとても良い。私は音楽を聴いてこのゲームをやろうと思ったのだ。「さよならを教えて」というタイトルのそれは、不思議なサウンドだ。夕方という時間によく似合う、ずっと聞いていると意識が混濁してくるような感じ。この音楽を聴いていると、音楽が物語を彩っているのではなくて、物語が音楽を彩っているような気すらしてくる。

エロゲつながりでいえば、ホワイトアルバム2も楽曲が素晴らしかった。力のある曲というのは魂を持つ。春希がかずさのピアノを求め、かずさは春希に応え、雪菜は二人の魂ある演奏に歌を加えた。音楽に力があったからこそ三人は出会えたし出会ってしまった。

 

三島由紀夫が「君がインドに行くのではない、インドが君を呼ぶのだ」というようなことを言っていて、それは個人のカルマによるものらしい。私は「さよならを教えて」に呼ばれたのだと思う。私が今この時このゲームをしなくてはいけない何かがあるのだと思う、きっと。

 

今回の記事は魂とかカルマとか出てくるが精神に異常をきたしているわけではない。では、また。