時だけが救ってくれる

具体的な恐怖はすぐに私を死という思考に向かわせる。結局逃げたいのだ、苦しい現実から。私は対処するすべを持っているかもしれないけれど、現状に立ち向かう強さは持ち合わせていない。いや、持ち合わせていたとしてもこわいのだ。とにかく逃げたいのだ。ひとつの恐怖がやってくると、もう何も救いが無いように思える。多面的多角的に捉える事が出来ない。もうだめだ、もうだめだとそればかり。

 

自分がやっていることに実感がない。

心にも体にも実感がない。その時には、やっている最中にはあるのだけれど、やる前は違和感があって、そこに自分がいることを想像するのが難しいし、やった後はもう思い出すのが難しい。感覚を失うのが早すぎるのだ。一体どんな味だったか。歯に詰まる不快感は覚えているけれど、美味しかったかどうかははっきりとは思い出せない。感覚があいまいなまま、生きていかなければいけない。

確かなのは痛みだけだ。確かなのは痛みだけだ。

心の苦しさはいつまでも残って私を責め続ける。薬のごまかしは数時間。私はまたこうして苦しいと感じている。終わることはないんだろう。

 

眠剤で強制的な眠りにつこうと思っても、何かが私を追いたてるようにカッターを持たせた。おい、それはだめだ。それは絶対に禁止していることだし私はそんなことでは救われないって知っているんだ。やめてくれ。

本当に無意味な夜を過ごしてしまい、私には傷がつき、時だけが解決してくれるのは本当に救いだと思います。早く救ってね。待ってます。

文章に夢をいだいて

記事の整理をするか、という理由でいったんブログを非公開にした。非公開の間もブログ購読者には見られるのかな?と思っていたらそうではなかったようで。なのでその件で寂しさや疎外感を覚えた方がいたらごめんなさい。

 

にしても、はてなブログって個人的なメッセージが送りにくいよなあと以前から思っている。ブログのコメントもブックマークコメントも、みんなに見えるから恥ずかしいし。ツイッタ―だったら、まずリプライやお気に入りを行って、そのうちDMでもすればいいんだろうけど。

あ、このブログ書いてる人のこともっと知りたい!話してみたら何かを分かち合えるかも!なんて思っても連絡するすべはなく。けど、だからこそ相手の文章に夢を抱けるのかな。連絡をとらないということが、人間関係を保たせていることだってあるのかもしれない。

 

ここ一週間くらい憂鬱が続いていて、少し痩せてしまった。まあ誤差の範囲だ。

楽しいできごともあるけど、どこかで「これじゃない、ちがう。私が欲しいのはこれじゃない」と何かを求めている自分がいる。一体何が欲しいんだろう。全然わからない。

明日は掃除とアイロンがけをして、クリーニングも出したい。生活を正しく送れば、何かが手に入らなくても、不快は少なくて済む。私はそういう風にするしかない。少なくとも今はそれしか知らない。

支離滅裂になってしまっている

憂鬱の度合いが高まっている。いろんなことが重なって、いろんなことが無理になっている。上手くやっている人を見ると本当に偉いな、私も頑張ろうと励まされる。けど一体なんの意味が?って思う。

lainを見たいな、久しぶりに全部。誰かと話したい。温もりを感じたい。誰かと話していても上手い事が言えない。悲しくなる。誰とも心からはわかりあえない。そしてそう感じるのは私が、私の頭が上手く回っていないからだ。

良い事も悪い事もあるのに、悪い事ばかり拡大してそれを大事に持って生活している。なぜだ。良い事を嬉しがれよ。だめだ。もうどこにも行きたくないし、誰とも話したくない。さっき誰かと話したいと書いたばかりなのに支離滅裂だ。感情がおかしくなっている。私は大事なものを捨ててしまった。

明日もやってくるのだ。嫌でたまらない。なんでこんなことしてるんだ。泣きたいのに全く涙は出ない。

昼間、明るい歌を歌っていたら涙が出て来て、感情をコントロールするのは難しいなあと思う。思い切り全部を無かったことにしたい。帰りたい。どこに?わからない。

欲しいものが きっと 見つかります

他人のブログを読んでいたらアマゾンの広告が出ていて

「欲しいものが

きっと

見つかります」

と書かれた画像が5つ並んでいて、怖かった。

欲しいもの、なんだろう。うつがひどい時は欲しいものが全然無かったり、躁の時は逆にたくさんの物が欲しかったりする。いまは香水が欲しい。生まれてから一度も、香水というのを買ったことが無い。あとは靴。それくらいだろうか。

 

幸せ、というのか、精神状態に波が少ないので平穏な毎日を送っている。それはとても良い事なのかもしれないけれど、紅茶を飲んでいる時、DVDを見ている時、ネットサーフィンをしている時、さまざまな時に不安がよぎる。脳裏をかすめて、そのままどこかへは行ってくれない。このままの状態がずっと続くわけではない、と小さな警告を残して何者かが去っていく。

 

このまま一生幸せが続けばいいのに、と思うけど、それはきっと幸せではないんだろう。でも、浮き沈みすることはとても疲れる。いつ溺れそうになるかわからない足のつかない場所で、誰かが来るのを待っているのはつらすぎる。

 

いつかリミッタ―のようなものを外して

なんとなく体調が悪くてもつかみにいったほうがいいチャンスはある。

 

ひと月前までは完全に就活はしないつもりだったけれど、少しやってみようかという気持ちになっている。

精神的におかしくなるのが本当にこわくて、どこにも逃げ道はないと泣いて狂いそうになっていた(あるいは狂っていた)日々に戻りたくない、そう思って、就職しようなんて考えていなかった。

なにしろ就職のことを考えるだけでお腹が痛くなり、涙が出て、もうXXXXXX!!!という絶望的な気持ちになるのだ。

けれど、エントリーシートを書くとか、もしその先までいければ面接を受けるとかいう、多くの人がやっていることを私も頑張ってみようと思った。もちろん狂わない程度に。

 

中学生の時におかしくなってから、躁と鬱を繰り返してきたけれど、これからもその繰り返しなのだと思う。

絶望的だと泣き叫んで生きても死んでも何も終わらず解決しないようなあの感覚に陥るのはつらすぎる。あの気持ちには二度となりたくない。そうならないように、いろんなことをセーブしながら生きていく。少なくとも今はそれしか思いつかない。

いつかリミッタ―のようなものを外しても良いと思える日がくるだろうか。

 

死ぬ前にどんな景色を見たいか。私には思い浮かばない。何が見たいのだろう。一瞬まぶしくなって、それで死にたい。