文章に夢をいだいて

記事の整理をするか、という理由でいったんブログを非公開にした。非公開の間もブログ購読者には見られるのかな?と思っていたらそうではなかったようで。なのでその件で寂しさや疎外感を覚えた方がいたらごめんなさい。

 

にしても、はてなブログって個人的なメッセージが送りにくいよなあと以前から思っている。ブログのコメントもブックマークコメントも、みんなに見えるから恥ずかしいし。ツイッタ―だったら、まずリプライやお気に入りを行って、そのうちDMでもすればいいんだろうけど。

あ、このブログ書いてる人のこともっと知りたい!話してみたら何かを分かち合えるかも!なんて思っても連絡するすべはなく。けど、だからこそ相手の文章に夢を抱けるのかな。連絡をとらないということが、人間関係を保たせていることだってあるのかもしれない。

 

ここ一週間くらい憂鬱が続いていて、少し痩せてしまった。まあ誤差の範囲だ。

楽しいできごともあるけど、どこかで「これじゃない、ちがう。私が欲しいのはこれじゃない」と何かを求めている自分がいる。一体何が欲しいんだろう。全然わからない。

明日は掃除とアイロンがけをして、クリーニングも出したい。生活を正しく送れば、何かが手に入らなくても、不快は少なくて済む。私はそういう風にするしかない。少なくとも今はそれしか知らない。

支離滅裂になってしまっている

憂鬱の度合いが高まっている。いろんなことが重なって、いろんなことが無理になっている。上手くやっている人を見ると本当に偉いな、私も頑張ろうと励まされる。けど一体なんの意味が?って思う。

lainを見たいな、久しぶりに全部。誰かと話したい。温もりを感じたい。誰かと話していても上手い事が言えない。悲しくなる。誰とも心からはわかりあえない。そしてそう感じるのは私が、私の頭が上手く回っていないからだ。

良い事も悪い事もあるのに、悪い事ばかり拡大してそれを大事に持って生活している。なぜだ。良い事を嬉しがれよ。だめだ。もうどこにも行きたくないし、誰とも話したくない。さっき誰かと話したいと書いたばかりなのに支離滅裂だ。感情がおかしくなっている。私は大事なものを捨ててしまった。

明日もやってくるのだ。嫌でたまらない。なんでこんなことしてるんだ。泣きたいのに全く涙は出ない。

昼間、明るい歌を歌っていたら涙が出て来て、感情をコントロールするのは難しいなあと思う。思い切り全部を無かったことにしたい。帰りたい。どこに?わからない。

欲しいものが きっと 見つかります

他人のブログを読んでいたらアマゾンの広告が出ていて

「欲しいものが

きっと

見つかります」

と書かれた画像が5つ並んでいて、怖かった。

欲しいもの、なんだろう。うつがひどい時は欲しいものが全然無かったり、躁の時は逆にたくさんの物が欲しかったりする。いまは香水が欲しい。生まれてから一度も、香水というのを買ったことが無い。あとは靴。それくらいだろうか。

 

幸せ、というのか、精神状態に波が少ないので平穏な毎日を送っている。それはとても良い事なのかもしれないけれど、紅茶を飲んでいる時、DVDを見ている時、ネットサーフィンをしている時、さまざまな時に不安がよぎる。脳裏をかすめて、そのままどこかへは行ってくれない。このままの状態がずっと続くわけではない、と小さな警告を残して何者かが去っていく。

 

このまま一生幸せが続けばいいのに、と思うけど、それはきっと幸せではないんだろう。でも、浮き沈みすることはとても疲れる。いつ溺れそうになるかわからない足のつかない場所で、誰かが来るのを待っているのはつらすぎる。

 

いつかリミッタ―のようなものを外して

なんとなく体調が悪くてもつかみにいったほうがいいチャンスはある。

 

ひと月前までは完全に就活はしないつもりだったけれど、少しやってみようかという気持ちになっている。

精神的におかしくなるのが本当にこわくて、どこにも逃げ道はないと泣いて狂いそうになっていた(あるいは狂っていた)日々に戻りたくない、そう思って、就職しようなんて考えていなかった。

なにしろ就職のことを考えるだけでお腹が痛くなり、涙が出て、もうXXXXXX!!!という絶望的な気持ちになるのだ。

けれど、エントリーシートを書くとか、もしその先までいければ面接を受けるとかいう、多くの人がやっていることを私も頑張ってみようと思った。もちろん狂わない程度に。

 

中学生の時におかしくなってから、躁と鬱を繰り返してきたけれど、これからもその繰り返しなのだと思う。

絶望的だと泣き叫んで生きても死んでも何も終わらず解決しないようなあの感覚に陥るのはつらすぎる。あの気持ちには二度となりたくない。そうならないように、いろんなことをセーブしながら生きていく。少なくとも今はそれしか思いつかない。

いつかリミッタ―のようなものを外しても良いと思える日がくるだろうか。

 

死ぬ前にどんな景色を見たいか。私には思い浮かばない。何が見たいのだろう。一瞬まぶしくなって、それで死にたい。

毎日何か、実体のない物を食べて生きているような気がする。

長文を書く気が起きない。

 

ウテナ、mother観終わる。どちらも良かった。世界を革命する力を!クリームソーダは飲み物です。

 

なんにもしてないのに、春だからか毎日疲れる。疲労感と共に過ごす。美しくなりたいと思います。

 

人間はたった一日の美しい思い出で生きていけるからすごい。でも、できれば思い出はたくさん欲しい。つらい時にはそれを思い出すの。

 

私はいわゆるマゾなのかもしれない。後ろ暗い思いや、背徳感や、苦しいことにも喜びはある。つらい時にもっとつらい創作物を見てごまかす。涙を流して、現実をやり過ごす。

昔はもっと卑屈なやり方でしのいでいた。幸福度を感じるレベルをものすごく下げるのだ。私はご飯を食べられるから良かった、私は虐待されなかったから良かった、私は殺されなかったから良かった。だから私は感謝して生きねばならない。私は本当に幸せだ。

そうやって生きているときもあった。

 

今はまあ、もう少し良いほうなのかなと思う。自分は幸せであると、そう言い切りたい。なぜこんなにも満たされない、空洞のような、どこにも出口がないような感じがするんだろう。いつも何かをさがしている。誰かものすごく大きな存在が、安心感と自由を私に持ってきて、一生その人のもとで暮らせればと思う。そんなことはないのだと早く理解して欲しい。

 

毎日何か、実体のない物を食べて生きているような気がする。