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おおきくなりたくありません

すきなものはたくさんあります。苦手なものはこころのほつれ。

今日(12月10日)のクローズアップ現代と立花隆に寄せて

今日のクローズアップ現代は「広がる"読書ゼロ"~日本人に何が~」という回でした。

読書をせずインターネットで情報を得る大学生は小論文もコピーアンドペーストばかりで、自分の意見が書けていない。一方、本で情報を得る学生は自分の意見がきちんと書けているというようなVTRが冒頭に流れました。私はそのまとめ方に非常に違和感を覚えました。

それから、図書館で借りられている本が年々減ってきているというデータも出てきましたがそれは電子書籍に流れた人もいるだろうし(青空文庫で古典の物は読めますし、Kindle電子書籍も買えます)、本が読まれているかどうか本当に調べるなら電子書籍も込みで結果を述べなければいけないと思うのです。

なんだかこの番組構成は若者とインターネットというわかりやすい記号をつないで、どちらもロクなものではないと視聴者に思わせようとしている感じがしました。

私たち20代の親世代でも、本を読まない人などいくらでもいるはずで大学生に限ったことではありません。

冒頭の小論文の話は、小論文の書き方をきちんと大学生に教えればいいと思いました。彼らはただ小論文を書くことが苦手で、そこで本を使うか否かというのはまた一歩先の問題になってくると思います。

 

本は情報を得るためだけのものではありません。物語や詩やノンフィクション、いろんな本があって私は本を読むことがものすごく良いことだとは思いません。というより、"絶対に必要なこと"ではないと思います。

私にとって本にはいろいろな役割があります。必ずしも本で読んだことが役に立つわけではないし、物語でお腹は膨れません。それでも読みたいから読むのです。読まなくたって生きていけるならそれでいいと思います。どうして本を読むことは良いことで、インターネットは悪いことのように言うのでしょう。

 

VTRがひとしきり流されたあと、スタジオでアナウンサーと立花隆の話がありました。立花隆は、本というものは知(知識)と情(感情)と意(意欲、意思)があって本というものを取り上げるときにとにかく「知」ばかりがあるように言うけれど、本当は情も意もたくさんあるというようなことを話していました。

どんな情報もその人の捉え方、使い方次第です。本もインターネットも情報をとらえてからどう行動するかだと思います。

スマホやインターネットという誰も使いこなせないようなものがある時代、とにかくそれらは否定されがちですが立花隆の言葉で私は救われたような気がしました。誰も言ってくれなかったことを全部この人が言ってくれた、私のもやもやを言葉にしてくれた。誰もがなかなか言えないような、答えはじつはひとつではないということを言ってくれる大人がいることに感動しました。しかもテレビという場で。今日の番組は本当にたくさんの人に見て欲しいです。

私はこの文を記憶をたぐりながら書いたので、興味を持たれた方は番組を観たほうがいいと思います。立花隆は他にもすごく良いことを言っていたので。

 

ここから先は自分の昔の話になるのですが、中学生のときに将来の夢を書いて全校生徒と親の前で発表するという行事がありました。私は何になりたいかどうしても決まらず、同級生が医者やトリマーと書いている中で「いまの若者は…と言う人がいるが、いまはかっこいいと思える大人が少ないから若者が荒れるのではないだろうか。私はあこがれの人をさがし、いつかは自分も誰かにとってのあこがれになりたい。」と書きました。

みんなが自分のあこがれの職業を書いているのに私という存在は意味のわからないものだったのでしょう。担任が私を「頭がおかしい」と言っていたことを友人から聞きました。私は悲しかった。そう言われたことよりも、中学を卒業するまでそんな通り一遍の答えしか求めていないような視野のせまい大人と過ごさなければいけないことが本当に憂鬱でした。どうして答えはひとつしかないみたいに言うのだろう。私が書いたことは私が時間をかけて出した答えで、最高にオリジナルな答えなのに。そのときもし私に声をかけてくれる大人がいたならば。私はおかしいわけではないと言ってくれる人がいればどんなに楽だったでしょうか。私はきっとその人にあこがれていたでしょう。

 

立花隆のような大人がいることがわかって私はとても嬉しかったです。まだこんな人がいるんだ、私たち若者を否定しないでいてくれる大人がいるんだと涙が出ました。

答えは決してひとつではないのです。