私は声を上げたい

減薬のせいか気候のせいかわからないが、落ち着かない。不安がある。将来への不安。ぼんやりと、複数の不安がある。言葉にするともっと傷つきそうなので言葉にはしない。

この不安を薄めるためにただ書くのみ。ただ書くこと、書いて気を紛らわせることにしか救いはない。本当は人と話したりするといいのかもしれないが、いつでも相手の準備ができているとは限らない。

 

「不幸な人の唇はせわしなく動くが、いかなる音も誰の耳にも届かない。聞き取られないと確信しているため、不幸な人自身が言葉を使用しても無駄だということにすぐさま打ちのめされてしまうのである。」

シモーヌ・ヴェイユアンソロジー/シモーヌ・ヴェイユ/今村純子編訳』河出文庫/p,362

 

私は声を上げたい。困っているときは正直に声を上げる強さが欲しい。

そして聞き取れるようになりたい。困っている人の声を聞き取って、手を取って一緒に歩めるようになりたい。共に歩めなくても、遠くでその人のことを思って、代わりに誰かの良い隣人として暮らしたいと思う。

 

私は不安と向き合いすぎているのかもしれない。本当は不安を感じても流してしまうのが良いのかもしれない。だが、なぜ不安になるのか、何が不安なのか、この先どうなってしまうのか考えずにはいられない。