感情の不利幅が

感情の振れ幅、または不利幅ってやつがものすごく大きくて、さっきまで泣いて叫んでつまらないことで激昂していたのに、今はもう楽しそうにテレビを見て笑って、昔の話をして懐かしんでいる。憎しみも嬉しさも長くは続かないということを、毎日身を持って体感している。

明日は外出せねばならず、自分に予定があるというのが嬉しくもあり、でもそれ以上にきちんとこなせるかどうかが不安だ。外出の前日だというだけで人はこんなにもおかしくなってしまうものなのか。

 

自分の子を残すということについては中学生のころから考えていて、今でも考え続けている。私が最近まで好きだった人は「子どもを作る予定はない」と言いきっていて、子どもが欲しい、早く結婚したいと言う人が多いなかで特別な存在に見えた。彼が子どもを作るかどうかは別にして、自分の生を肯定できるようになったらいいなとは思う。生きやすくなれ、と願う。

 

手帳の表紙にシールを貼って飾り付けてみたり、かばんを元あった場所に戻してみたり、生活らしいことをしてみる。

本当は洗濯しなきゃいけないし、ご飯をきちんと食べるとかそういうことをしなければいけないんだけど、できない。私は何もできない。できるように、回復しなければ。回復したい。はやく。元気にならなければ。

 

焦っても何かが良くなるわけではない。でも焦る。「世間体というものもありますからね」、と誰かが言った。