両親も兄弟も仲が良くて、少し甘やかしすぎたなどと言われながら、子供をもうけることはさも当然のことだというように人生に組み込まれていて、少しの不安がありながらもパートナーと支え合い、みんなの温かな眼差しのなかで生きていきたかった。

ソウとウツがぐっちゃり混ざったような今の気分で、私がずっともやもやと考えていたことを言葉にしてみようと思う。

 

私には仲の良い女友達がいた。今年もお盆にあったばかりだ。

彼女とは10年以上の付き合いで、私は彼女のことが大好きで、いろんなことを彼女から吸収した。服とか音楽とか考え方とか、いろいろなもの。彼女は美しく、話す姿も写真に映る姿も美しかった。二人きりでカラオケや旅行や買い物に行ったし、複数人でも遊んだし、いろいろなことを喋った。今では本当に遠い昔のようだが一緒に同じ浴槽に浸かったこともある。

彼女と進路が別々になって、物理的にも心理的にも距離は遠ざかって、彼女は変わっていくようにみえた。もともと秘密主義だったのが、もっとそうなった。恋人のことも教えてくれなかったし、結婚も直前まで教えてもらえなかった。

ただ、結婚式には招かれた。私は精いっぱい準備をして臨んだ。式の間はかなりの時間泣いていた。感動して、とかじゃなくて、自分でもよくわからなかった。ビンゴゲームで商品が当たっても全然嬉しくなかった。ただ、当たったときに彼女に名前を呼ばれたことだけは嬉しかった。

彼女の旦那さんはとても穏やかで誠実そうで優しそうで、親切な人だった。私たちの内輪の二次会にも付き合ってくれた。

数年後、彼女に子供が産まれた。LINEのアイコンで知った。その時はほとんどLINEでやりとりをするだけになっていた。でも、彼女の出産を機に会おうということになった。子供を抱かせてもらって、旦那さんに挨拶して、自分の近況を相談して、ケーキを食べた。

 

私は正直彼女がうらやましかったのだと思う。聡明で美しくて、卒業したら結婚して出産するという筋書きのある物語のような、紆余曲折のない美しい人生を歩んでいる彼女がまぶしかった。

もちろん私にそう見えただけで、彼女にだって痛みや苦しみがある。けれどどうして自分はまっすぐに生きていけないのかと、彼女を見るたびに胸が痛いのだ。どうして病気があるんだろう、どうして結婚までスムーズにいかないのだろう、もっともっと大切にされて指輪や洋服を買ってもらって、結婚式を挙げるのはあまり気が向かないからこじんまりした式にしよう、その代わりドレスや和装の写真をたくさん撮ろう。子供はなんとかなるよ。二人で大事に育てよう。そんな風に言われてみたい。

両親も兄弟も仲が良くて、少し甘やかしすぎたなどと言われながら、子供をもうけることはさも当然のことだというように人生に組み込まれていて、少しの不安がありながらもパートナーと支え合い、みんなの温かな眼差しのなかで生きていきたかった。

でも実際は病気や両親の離婚や親の無理解と不和、子供なんて夢のまた夢、お金もない。学もない。私には人に誇れることがない。タオルがちょっときれいにたためてカラオケも人より少しうまいかもしれないが、それが人生において一体何の役に立つだろう。ほんの一瞬、その時だけしか役立たない。

まっすぐに生きて子供が産める人生のほうがきっと良かったと思う。たぶん、きっと。

 

彼女は本当に本当に大好きな人だったのに、私の肥大した自意識で遠ざかってしまった。彼女の住んでいる場所や、旦那さんの優しさや、いろいろなことが私の心を揺さぶる。あんなに好きだったのに、彼女を遠くの人としてしか見られない。そしてそんな自分を一番悲しく虚しいと思う。

 

彼女が好きだった歌を聞くのがつらいし、最近は何を聞いてるの?とたずねて、昔とは全くちがうアーティストを聞いていることが悲しかった。でも考えてみればそれは当たり前のことだ。だって彼女の環境は本当にめまぐるしく変わったんだから。

 

人と比べて、理想とされる生き方と比べて、そして悲しんだり苦しくなったりしている自分は本当にバカだと思う。だから病気になるのかもしれないし、だから病気なのかもしれない。

彼女はもうまぶしくて、でも5年とか10年経ったら、もっと自然に付き合えるようになっているかもしれないとも思う。私の考えが変わっているかもしれない。少し和らいで、穏やかになっているかもしれない。それだけが希望だし、でもそこにたどり着くまであまりにも長すぎるとも思う。

こんなことを繰り返して一体何が得られるのか。そもそも何かを得られると思っているの?と自分の心が問いかけてくる。

10年後、何にも変わっていない自分がそこにいたら。一体私はどうなってしまうんだろう。どうなりたいんだろう。ただ、彼女と全く同じになりたいわけではない。でも、自分の人生とある程度状況が似ていないと女友達と付き合い続けられない自分の狭量さが、本当に悲しい。