十六夜

私も誰かのブログを読んでいつも励まされている。ああ、生きてる人いるじゃん、苦しんでる人いるじゃんってちょっとほっとする。と同時に、いつこのブログが消えるかわからないって恐怖を覚える。いきなり読めなくなったら嫌だな、更新止まったらつらいなって思う。

二年位更新の止まってるブログがある。すごく好きなブログだったから復活を待ち望んでいる。死についてよく書いている人だったから、もう一生戻ってこないかもって考えると悲しくなる。自分もそうなるのかな、と考える。生還してほしい。

他人には生きることの大切さを説くことができる。「死ぬとか言うのやめてよ」と憤る。自分には、そんな感情の否定はしない。いつも死にたい気持ちを肯定する。未遂をしたことがないのは、恐怖もあるだろうが、まだどん底まで行っていないって思うからだ。食べられなくなったら死のうって思っているんだろう。自分を大事にしてくれる人が死ぬまでは、生きなきゃいけない気がする。でも両親の死を待つのは長すぎるとも思う。

学校に行く時、このまま失踪したいと考える。学校で先生としゃべる頃にはそんな気持ちも萎えている。いつも通り帰路に着き、明日着ていく服を考えている。

どうなるんだろうな。想像はいつも、失敗や恐怖の中で立ち止まる。自分や近しい人間が死ぬところを思い浮かべてみるが、今よりマシになる気がして、希望すらある。

セックスの後に泣く女を抱きたくない。セックスの最中に気持ちいい以外のことの考える女と一緒に居たくない。泣いたあとはさっきまでのことが嘘のように笑っている情緒不安定な女は嫌いだ。精神が安定している女としか付き合いたくない。なんで延命治療してるんだ私は。全部変だ。

ツイッターは止まっている。情報の多いものに疲れてしまった。最近はなぜか寝付きが良い。一生これが続くと良いのにな。ラジオ深夜便ばかり聞いている。もっと書きたいことがある気がするのに、私の中には特になにもないのだ。