おおきくなりたくありません

すきなものはたくさんあります。苦手なものはこころのほつれ。

また居もしない子どものことを考えている

自分は赤ん坊をかわいいと思える人間だと思っていた。でもどちらかといえば胎児のほうが好きだということに気づいた。母親に許可を得てお腹を触らせてもらうと、温かくて、涙が出て来る。生命の神秘ってやつだ、尊いものだ。出てきたあともそれなりに可愛い。母親が頑張って産んだんだ。可愛い。大事にしなきゃいけないものだ。

家に赤ん坊が遊びに来て、私は喜ばせようとお菓子をプレゼントしたり、ぬいぐるみを手当たり次第に出したり、絵本を引っ張り出したりした。でも読み聞かせはしなかったし、赤ん坊が帰ったあと、絵本を全部ウェットティッシュで拭いた。

可愛いとか、喜んでほしいとか感じているつもりだったが、それは全部恐怖に近いものだったのかもしれない。私は赤ん坊が泣いているのがこわい。嫌だ。

可愛がっているわけじゃなくて、何とか泣かせないように必死だっただけかもしれない。

子どもとの接し方がわからない。何を話したら良いかわからない。つまらないやつと思われるのがこわい。嫌われるのがこわい。だから可愛いと思って、好きだと思いこんでいるのか?

赤ん坊が泣くのは嫌だ。大きい声。どうして泣くんだろう。

私は自分が泣いているのも嫌いだ。どうしてしょっちゅう泣くんだ。私は子どもみたいだ。早く泣き止んでほしい。自分の中にいくつもの自分がいるのは当たり前のことだ。私は私の子どもの部分がどうしても許せないと同時に、甘やかしてほしい。もしかして、自由に泣いている子どもがうらやましいのか?

子どもと暮らしている自分が想像できない。私が子どもなのに子どもなんか育てられるわけないだろ。彼は子どももいずれは欲しくなるかもしれないという。自分は機能不全家庭で育ったのになぜ希望を持てるんだろう。子どもの顔を見せて親孝行したいとか言う。なんでいまさら親を大事にしようとするんだ。そのために子どもを使うな。私は無理。私のところに産まれる子はかわいそう。でも彼のことは好きだ。でも誰の子どもだとしても、産みたくないんだ。少なくとも今は。絶対に。

「私も同じ考えだったけど、産んでみたら可愛くて仕方がないですよ。今二歳です。二人目も考えています」。

そうか。私は今日も子どもを産まない人生について考える。子どもが欲しくないと言い放った男の人のことを考える。子どものことが考えられないと言った女の人には出会えたことがない。赤ちゃんを抱かされても、早く離したいという思いでいっぱいになる。

私の腹、一生からっぽであってほしい。