さよならを教えている

さよ教、四日目までプレイ。すでにヤバさしかない。5人の少女と知り合う。屋上、教室、図書室、廊下、弓道場…。彼(主人公)の意識は混濁していて、現実と夢が重なり合いすれ違っている。どこからが虚構なのか、どこからが現実なのか。既に聞こえない言葉も出始めている。天使さまとは一体なんなのか。彼を救う者か?

夕方という時間にだけ生きることができる彼。その気持ちは少しわかる気がする。精神が弱ってしまうと、夕方から元気になるとか、深夜は活動できるとかそういうことが起きる。同じなのだろう。彼が正気を保っていられるのは夕方だけなのだ。教育実習からの束の間の解放、一日の終わり、夕陽の沈む頃だけが彼の心が安らぐ時間なのだ。

さよならを教えて」とは一体誰の言葉なのか。教えるのは教育実習生である彼か、それとも…。

 

このゲームは音楽がとても良い。私は音楽を聴いてこのゲームをやろうと思ったのだ。「さよならを教えて」というタイトルのそれは、不思議なサウンドだ。夕方という時間によく似合う、ずっと聞いていると意識が混濁してくるような感じ。この音楽を聴いていると、音楽が物語を彩っているのではなくて、物語が音楽を彩っているような気すらしてくる。

エロゲつながりでいえば、ホワイトアルバム2も楽曲が素晴らしかった。力のある曲というのは魂を持つ。春希がかずさのピアノを求め、かずさは春希に応え、雪菜は二人の魂ある演奏に歌を加えた。音楽に力があったからこそ三人は出会えたし出会ってしまった。

 

三島由紀夫が「君がインドに行くのではない、インドが君を呼ぶのだ」というようなことを言っていて、それは個人のカルマによるものらしい。私は「さよならを教えて」に呼ばれたのだと思う。私が今この時このゲームをしなくてはいけない何かがあるのだと思う、きっと。

 

今回の記事は魂とかカルマとか出てくるが精神に異常をきたしているわけではない。では、また。