私のことを後悔して欲しい

昨日の夜は疲れていたというのもあるし、何だか日記を書くには具体的なことが起きすぎて、やめてしまった。具体的なことはあまり書きたくない。幸せだったことを書いても意味が無いような気がする。本当は幸せな出来事や言葉でこのページを埋め尽くしたいのに。

 

誰かのことを思う時、「私のことなんか忘れて幸せでいてほしい」という気持ちと「私のことを覚えていて欲しい、時には後悔してほしい」という気持ちが湧き上がる。

私のことなんか無かったことのように誰かの隣を歩いて、私は私で幸せに暮らす。

街で彼女の歌声を聞いた時、寒い季節になってベンチに座った時にふっと私のことを思い出してほしい。そして、あの夜の決断を後悔して欲しいのだ。

 

私は恋愛脳と呼ばれるやつなんだろうか。そうだとしたらどういった問題があるんだろう。恋はいけないことなのだろうか。

いつも誰かに夢中になっていれば、死を思わなくて済む?もしそれが理由で恋しているなら、私は自分のことが恐ろしい。けれど、完全に否定しきれない自分もいる。

 

今日は夕方から頭が痛くて、低空飛行の一日だった。

無償の愛について考える。それは親から子にではなく、子から親に向けられるものかもしれないという言葉を聞いて、確かにと思う。

全ての人の選択は間違っているとは言えない。正しい、どれも正しい。間違っていてもそうするしかないこともある。その先に何が待っていても、それを選んでしまうことがある。

 

楽しい一日を送っても、私の文章はいつも暗いものになる。明るくきらきらとした希望のある文章を書いて、いつか大切な人に見せられたらいいのに。自分の苦しさばかりが言葉となって、それを誰かに押しつけてばかり。年金。貯金。単位。頭痛。悩みの種ばかり。

 

どうして私は幼いんだろう。自分を傷つけるようなことを望んでいる。そうしたら生きている実感がたくさん得られて、前向きになれるような気がする。即物的なものが欲しい。快楽か痛みが欲しい。誰かに思いきり存在を否定されたら泣いてしまうくせに。

首を絞められたことを思い出す。