この瞳に誰かを映す尊さを

「大人とは与える側にまわる者だ」と、「こどものじかん」の9巻でも言っていた。

今回の恋の敗因は、きっと求めすぎてしまったことだと思う。私はそれ以上に相手に与えられていたかを考えていなかった。欲しがってばかりだった。だから、次はもう失敗しない。相手のことを傷つけたくないから。

「女の人は別れたあとに男の悪口を言うけど、男は言わない」とテレビ番組で言っていて、そんなの男とか女とかじゃなくて人それぞれだろうと思った。私は別れたあとはひたすら自分の落ち度をさがしてしまう。もっとこうしてほしかったと思うこともあるけれど、たいていの責任は自分にあると思っている。幸せにしたい、一緒に幸せになりたいと言う覚悟が足りなかったのだと反省する。

あの時もあの時もそうだったな、と失恋した過去を引っ張り出している。このブログだって、失恋がきっかけで始めたものだ。恋愛感情は人を惑わせて、時に思いもつかない行動をとってしまったり、普段はやらないようなことをさせてしまう。その感情の中心で踊り子となるのも楽しいのかもしれないが、私はもっと相手のことを思いやらなければいけない段階にきていると思う。

 

うまくまとまらないな。

 

他人との接触はとてもこわい。傷つくかもしれない、今までのことが全てだめになるかもしれない。それでも、私は人と傷つく道を選ぶ。だって好きになってしまうし、好きになってほしいから。どれだけ傷ついても手をつないだり心を通わせたりする時の嬉しさに比べれば、悲しみだって大切な感情のひとつなのだ。だから生きていくしかないんだ。私は誰かと幸せになるために生きていくしかないんだ。気持ち悪くても苦しくても生きていくしかない。生きるしかない。死なない。

私は愛のことも死のことも生のことも何も知らないけど、人を好きになったときの気持ちは知ってるよ。振られた時の気持ちも、離れていく時の気持ちも、自分の瞳に誰かを映す尊さも知っているよ。