悲しみの感度

 尊敬している人が去ってしまう。死ぬのとは違うけれど、去るということはとても悲しく寂しくやりきれない。今日はそのことがずっと頭から離れず、泣いたり寝たりをくり返していた。

 私が一番傷つくときは、自分自身の悲しみを悲しんでいるときではなくて、誰かの気持ちを想像したときである。もちろんその人が、私の想像したように悲しんでいるかどうかなんてわからない。数値化も、はかりに載せることもできない。ただ、その人がいまどんな思いでいるのか想像すると悲しくて仕方がない。その人自身、その人を尊敬していた人、その人を好きだった人…みんなの心を想像するとつらい。

 人は、大げさとか偽善者と言うかもしれない。私も、自分はどこかおかしいのではないかと思っている。こんな風に考えすぎるのは異常なのだろうか?誰かの心に寄り添いたい。ただ、悪意や鋭い言葉は悲しい。それを使わなければいけないくらいその人が傷ついてしまったのも悲しい。こんな時はどうすればいいのかわからない。

 誰かに共感してほしい自分がいる。悲しい気持ちを受け止めてほしい。でも、いまは誰もその力が疲れ切っている。声が、ききたい。