貯金箱が好きだ

ずっと貯金箱が欲しいなと思っていた。私はけっこう貯金が好きで、以前は銀行から貰った犬の絵が描いてある貯金箱を使っていたのだが、だいぶん貯まったので缶切りで開けて中身を預けたのだ。それからずっと素敵な貯金箱を探していた。100円ショップに売っている「10万円貯まる!」みたいなものは、お金をいれるときのワクワク感が無いので(貯金箱はかわいらしくてワクワク感がないとだめだ。憧れの男の子や好きな女の子みたいなものだ)デザインが凝った物がほしいなあと思っていた。

そして、先日ラジオの形をした貯金箱と出会った(そういえば、日々ロックの作者がラジオをテーマにした漫画を出していて、絶対コレ私の好きなやつだー!!と思った。まだ買っていない)。黒色で、レトロなデザインで、ボタンに音符マークがついていたりとなかなかかっこいいのだが、とても大きい。持ち運びできる取っ手がついているのもなぜなのかよくわからない。値札を見ると半額だった。1日考えて、買うことにした。レジで店員さんに「不良品だから安くなってるんでしょうか?」と聞いたら「いえ…在庫の関係でずっと残っていたので…」と言われた。売れ残りだったのだ。そういうところもいいと思った。

いま、私の部屋の時計の横には、このラジオ貯金箱が鎮座している。時計よりも大きい。私の持っている防災ラジオよりも大きい。これにめいっぱい500円玉を入れたらかなりの額になるだろう。がんばって貯めようと思う。貯まったら何をしようか。漫画をたくさん買ったり、あこがれのブランド品を買ったり、旅行するのも良いかもしれない。けれど、たぶん私は貯金するだろう。それが私という人間なのだ。

 

前回の日記で、自分肯定もしくは否定することで何かしらを生み出す旅行に出たいと書いたのだが、主要都市に行くよりも地方を回ったほうがいいのではという気もしてきた。都会の人って何か疲れてそうだし。偏見だろうか。朝起きて着替えて駅で定期券を忘れたことに気がついて、いや、どこかにあるはずとポケットをごそごそしていたら家の鍵を落として拾おうとして、でもなんだか動けなくて気づいたら目から涙があふれていて俺一生このままなのかな毎日毎日会社に行って、ていうかどうして今日に限って定期券忘れるんだろう夏ならまだ良かったこんな寒い冬の日に手袋を外してかじかんだ手でこの冷たい鍵を拾わなきゃいけない俺をこの駅にいる誰も認めてはくれないという事実がただただつらい味方は一人もいないのか、とひとりきりになったような気がしそう。偏見だろうか。

どこかを旅するなら何か目的があったほうがいいのだろうか。どこどこを見たいとか、誰々に会いたいとか、何を食べたいとか。目的が無い旅って苦痛なのかな。

東京に行った時に、玉川上水は見られたけど太宰治のお墓は拝めなかったのでお墓に行こうかしら。けれど20代の旅としては暗すぎる気もする。

私の旅。じっくり考えよう。