こじらせ女子の、不幸と幸福論。

あの子は片親だからかわいそうとか、かわいそう度って結構あるじゃないですか。

女手ひとつでどうのこうのとか、お父さんはいないけどあそこの子はお医者さんになって云々とか(私のおばあちゃんは結構こういうことを言う)。そういう話を聞かされるのってつらいときがあります。これは完全に私の思考と認知のゆがみですが「だからお前も頑張れ」という風に聞こえてしまうのです。精神的に追い詰められているときにニュースで亡くなった人のことが報道されていると「ああ、なんでこの人が死んだんだろう。私が死ねばよかったじゃないか」と思ってしまいます。

自己評価が常に低いのです。

 

 

ヒメゴト~十九歳の制服~ 7 (ビッグコミックス)

ヒメゴト~十九歳の制服~ 7 (ビッグコミックス)

 

 

 この漫画の最新刊を読んで思ったのですが、私は無意識にキャラクターたちにかわいそう度をつけてしまっていた気がします。

たとえば、虐待されたことのあるキャラクターがいて、その子に比べれば主人公はまだ幸せだよね、とか。主人公の悩みなんて全然大したことがないように思えてしまうのです。

しかしこれは非常に危険な思考です。これを実生活に持ち込むと、とてつもなくつらいと思います。

 

私より苦しい人はたくさんいる、不幸の度合いで言えばあちらが上。だから私は、もっと頑張らなくてはいけない。

そんなことないのです。私はわたしです。他の人と、そんな風に卑屈に比べる必要なんかない。

 

どちらがより不幸かを秤にかけて それで勝ったって 嬉しくないよ…

ってフルーツバスケットでも言ってた!!!!

 

不幸の度合いを比べてそれに振り回されるのは寂しいことです。

でもいま私はそんな風にしか生きていけません。けれど変わりたいと思っている。他の誰でもない私という存在はいまここにいるのだと、幸せだから笑うのではなく、むしろ笑うから幸せなのだと言えるようになりたい。

なりたい!!!!!!