おおきくなりたくありません

すきなものはたくさんあります。苦手なものはこころのほつれ。

美しい映像や絵を見て感心したり嬉しい気持ちになっったりしてそれだけで日々が終わればいいのに

暗い日記。

 

 

私だったらこうされると嬉しいなということを他人に過剰にやってしまって、自分で自分の首を絞めている(比喩のほう)。

私の生き方が正しいのかわからない(もちろん正しい生き方などない、定義されていない)。

そもそもこうやって考えすぎても良いことはない。みんなもっと違うように生きている気がする。私が羨ましいと思うのはもっと自分の身体とよくつながっていて、そして社会的なことをきちんとクリアしていて(それは結婚出産仕事など)、自分の親戚や家族と仲の良い人。

もちろん誰だって弱みを見せていないだけで、問題もあると思う。でも自分の欠点と相手の欠点を比べるのがやめられない。自分は全然持っていない気がする。私の周りの人が優しくしてくれても、それは私の持っているものじゃない。

嫌なことばかり思い出す。悲しくて泣きたくなる。

世間的に正しいことに縛られるのはもうやめるべきだと思っても、どうしても人と話したい。仲良くしておきたい。会いたい。一緒に話したりご飯を食べたり買い物をしたりしたい。誰かとつながっていたい。選ばれたい。本当は誰にも選ばれなくてもいいって思いたい。本当は1人くらいいればいいと思いたい。手に余るくらいの幸せを欲しがるのは間違っている。溢れるほど欲しくはない。感謝されたい。私はどうして誰にも何もしてあげられないのか。ポイント制にしてほしい。安心するから。目に見えるから。

 

誰かの親になってそのことだけ考えたい。自分の子どもの健やかな成長を願い、子育てして。もしくは働いて誰かを支えることができたら。いつも守ってもらってばかりで何もない。頑張りもポイントにしてほしい。うつとか躁とかも目に見えるようにしてほしい。

自分が良い親になれる気がしない。結局家族仲の良い人はたくさん子どもをなし、私はそうはなれない。そうなってはいけない。連鎖が起きる。いつか自分の子どもを羨ましくなってしまう日がきっとくる。朝目覚めたときに後悔するのは自分だけでいい。ああ、子どもをなしていれば。私一人がそう思えば良い。

考えすぎなのだと思う、いつもいつも。もっとシンプルな事柄がたくさんある。でもシンプルすぎるのもこわい。勢いもない。情熱もない。美しい映像や絵を見て、ふむふむと感心したり嬉しい気持ちになってそれだけで日々が終わればいいのに。

本当は褒めてほしい。病気だから子どもをつくらなくて偉いね、いろんなことを諦めて偉いね、生きていて偉いねと。連鎖を起こさない立派な選択をしたのだねと褒めてほしい。友人の子どもは可愛い。だって奇跡みたいなものだもん。好きな友達の半分が入ってるんだもん。でも自分の子は半分が自分で、そんなの許せるわけない。まともなわけない。

子どものいる友人に何を話せばいいかわからない。育児以外のことを話しすぎたら恥ずかしい気がする。まだそんなこと話してるの?って思われたらどうしよう。私は映画とか本のことしかわからない。働いてる時間も長くない。ほぼ家事。語れることが何もない。自分の浅さに驚く。クリムトの描く絵の色彩は美しい。そういったことは生活に根付かず、どうでもいいと言われてしまったら私の全部が崩れる気がする。だから話せない。うまく話せない。だって人生を着実にすすめている人にクリムトや映画が必要なの?必要な人もいるけど、私は着実にすすめていないから所詮その代替でしょって思われたらどうしよう。でも私は音楽や絵や映画を美しいと思う。素晴らしいと思う。文章に勇気づけられる。

寂しい。苦しい。誰と何を話したらいいのかわからない。話したいのかもわからない。自分の中で思考が二転三転する。苦しい。

どこまでもどこまでも他人が自分ではないという感覚が希薄

春になって、いや、とっくにもう夏が近づいてきているというか、なりかけというか片足を突っ込んでいるのだが、ようやく調子の良い日も増えてきた。

冬はだめ。季節としての冬は美しいし、もこもこのニットや黒タイツを身につけられるのは大好きだけど、やる気がしない。頭が痛い。常に気分は落ちている。

ところが春は不安定ながらも気持ちの上向く日も多いし、薄着をしてみたり窓を開けてみたり、ちょっと散歩してみたりと少し心や体の窓が開放される気がする。夏はハイになりすぎるから気をつけなければいけないんだけど。

病気のつらいところはセーブをしなければいけないところだと思う。誰だって多少はしているだろう、食欲物欲性欲などなどのセーブ(性欲は薬でかなり無くなっているのだが…)。

自分が楽しいときも「あ、ハイになっちゃう、だめだめ」と薬を飲んだり、「楽しい!楽しい~~!いや、あれ、これ…もしかしてハイ?病気の症状かも?」と自分の楽しさを疑わなければならない(~でなければならない、とか~すべきという考え方も顕著になってくる)。

 

この間、好きなブログを書いている人にメールしてみた。あちらも嬉しいと言ってくれて、私も嬉しかった。私が男だったら会ったりカラオケとかに行けるのかなーと思った。

別にその人を疑っているとかではなくて、自分が女だというのが嫌?というか。自覚させられるのが嫌なのかもしれない。だってカラオケに行ったって、自分の女としての声を聞いて、あの大好きな男性ボーカルを歌えないんだとかぐちゃぐちゃ思っちゃいそう。いや、そういうことではなくて、きっと男の人だと錯覚を起こしてしまうから。簡単につながれるような錯覚を。つまり肉体とかで。決してそうなりたいとかなりたくないとかではなく、自分がその人と親しくなりたいと思ったときに安易にそういったことを選択しそうでこわいというか。自分と他人の境界線が曖昧でこわい。どこまでもどこまでも他人が自分ではないという感覚が希薄なのだ。

だからネット上で知り合った人はなるべく複数人で会うとか、そういったことを心がければ良いのかな、たぶん。

いや、相手方は全く会うことに言及していないのにぐちゃぐちゃ勝手に書いて申し訳ないのだけど。以前からの考えを更に新たにしたのだった。

安易につながれることに甘えてはいけない。他人は他人として尊重したい。そして切ない文章を書いて、同じ音楽を好きでいられる人に敬意を。不快だったら消しますので。

枕を押し付けてくれないか

ずっと低空飛行。言葉にするほどのエネルギーも怒りも無い。ある意味穏やかな毎日と言えるかもしれない。金銭の問題が私を悩ませるが今すぐ死ぬというわけではない。ただ、その悩みに私がどれだけ耐えられるか。私は脆い。

なぜか昔付き合っていた人や、変な空気になった人を思い出す。彼らはどうしているだろうか。連絡を取りたい気もする。ただ単に躁?それともホルモンの関係?わからないが、そういった衝動が今これを書かせているのかも。

みんなどうしてるんだよ。私は毎日平和かもしれないけど、これからずっと40年とかこんな感じで生きていくかと思うと涙出るよ。悲しいのと虚しいのと恐怖。楽しいことなんてこれから先あるのかと思う。あるかもしれないけどそれはものすごく素晴らしいことなのか?今までのつらさを全部ひっくり返せるくらいの幸福が果たして現れるのか?カイジと同じ。引際もわからなくてただ、「いつか」を信じてる。眼の前にあるものを見つめろと言われてもこわくてたまらない。眼の前に何があるっていうんだ。眼の前にあるのが苦しいことばかりだったとして私に耐えろというのか。もしくは、何も無いとしたら?

これは誰に問いかけているわけでもない。神様とか世間とかで、あなたじゃない。でも同じように考えているあなたはきっとどこかにいるだろう。

将来とか、幸せな将来じゃなきゃ欲しくない。生きてるってこと忘れながら生きていけたらなあ。大丈夫。薬一個でマシになるって知ってるよ。逆に変な感じだよね、それ。身体に支配される精神。

 

もうすぐ春だ。春がきたらなんか良いことあるのかな。あるといいな。みんなに良いことあるといいと思う。職が見つかるとか、友達できるとか、好きな映画やるとか。わからん。そういうの積み重ねて生きていくのが生きるってことか。わからん。

したいことあるけど、義務感でやってる気もする。心からやりたいこととかあんまりない気がする。この歳にもなってそういうこと考えてるのちょっと幼いよな、たぶん。地に足ついてない、いつも考えすぎなんだよ。いつも自分に関係ないこと取り込みすぎて落ち込んで、これは精神に良くないってわかってるんだけど。でももともとまともじゃないから大丈夫なんだ。

美しいものが書きたいよ。響くものが。でもエネルギーがないよ。昔はあれ、どこからきてたんだ。昔の怒りや悲しみはどこからきてた?なんでこんなに書かなくなった?感じなくなった?幸せだから?こわいな。無性に誰かに壊してほしいんだ。壊すって何を?壊すほどの価値はあるか?問われたら全然ないと思う。壊されて廃人になったらいいのになあ。枕を押し付けてくれないか。

人は弱いからきっとそのイベントを大事に生きていくのに、弱すぎるとイベントを体験することもできない

ああ、何にしてもお腹が痛い。生理でもないのに。

「子供なんていらないのに」ってアスカの言葉を思い出す。そうだよね。生理なんて終わってしまえばいいのにさ。そしたらもう産まなくてすむっていうか、産みたいかもとかそういうことに惑わされなくてすむ。産んであげたいみたいなおこがましいことを思ったりもするわけで、でも私の子供なんて絶対幸せにしてあげられないから、かわいそうだから、最初から生まれないほうがいいと思う。でもそれが揺らいでしまうときが、若いからか意思が弱いからかわからないけど残念ながらそういう時があって、私は困ってしまう。だから普段から子供を産まないことに関して強固になっておかなければいけない。その意思をべたべたに塗り固めて、何があっても揺らがないようにしなければいけない。

 

体の不調が去ったと思ったら憂鬱がきて、最悪だ。タイミングが全部悪い。

タイミングとか言って言い訳してるだけじゃん、早く動き出しなよっていう声を無視するのも疲れる。本当に苦しいのか自分や他人をごまかすための演技なのかわからなくなってくる。本当の自分とかそういう段階はとうに終わっていて、私は分裂したまま生きなければいけないことを知っている。死んでしまいたい、早く。ていうか終わらせてくれ。

 

日常に終わりがないことが恐ろしい。結婚とか出産という区切りのイベントがないままに進む私は、何を目標にしたらいいのかわからない。でも健常でなければそのイベントはこなせないし、それは人生の支えになる。じゃあ私は支えのイベントもないまま、でも孤独に耐えて生きていかなければならない。人は弱いからきっとそのイベントを大事に生きていくのに、弱すぎるとイベントを体験することもできないんだ。じゃあ八方塞がりじゃん。

 

私には人形町に行く用事もない。お金は少しだけしかない。友達もいない。じゃあそれら全部があったら死にたくないかというとそうでもない気がするから、勝手。全く勝手だ。どうすればいいのかわかんない。答えは一生ないと思う。ごまかしながら生きていくしかないのに、時間だけ多すぎる。時間だけおもすぎて、押しつぶされて死んじゃいたい。

ただそれだけでは生きていけない

生の不安に襲われる。死の不安ではない。いつでも私をおびやかすのは私がいま生きているということだから、生がある限り私は怯えていなければならない。死んだらもうその心配はしなくていい。そう思うともう、足を踏み入れそうになってしまう。たぶん簡単なことだ。少しの勇気、時間の調節、場所選び。計画を立てることが大事だ。生活の中に組み込んで、そしてそちらを自然なほうに持っていってしまえば。

誰か救ってくれ。他力本願じゃ一生無理だね。じゃあなんで病気なの、こんな病的な思考に冒されるの。

誰が悪いとかはもうないんだろう。それでも誰かのせいにしたい。誰かのために生きていくなんて無理。具体的なこと何もやってないのに不安になるなんて狂ってる。

今日のマーボー豆腐は美味しかったよ。私が作ったよ。でもただそれだけで生きていけないのが苦しい。