怖がる人の代わりに虫を殺す
二ヶ月なんて期間はあっという間に過ぎ去ってしまって、自分が誰を好きだったのかも思い出せないくらいだ。私は何を好きだった?何を大切にしていた?二ヶ月前の感情を明確に思い出せる人はいますか。
念願の場所に来ているわけだけど、家の中を整えるのに精一杯で、ほとんど外出していないから、心の動きも少なく、イベントも発生しない。ゆえにストレスも少ないという非常に穏やかな状態が続いている。ネックは太ることかな。でも本当に、あんまり外に出なくても平気な人間なんだな、自分はと思う。
いろいろ書きたいことがあったような気もするが、何もなかったような気もする。だってイベントがないんだもの。毎日ご飯を作ったり、虫を怖がる人のために代わりに殺してあげたり、洗濯したりだよ。本当にそれだけ。昔は逃していたんだけど、それじゃ追いつかなくなっちゃった。
死についてはうっすら心の底を流れているものの、その水が大きく揺らぐことはない。こちらに来てまだ一度か二度くらいだ。ラッキーだと思う。
しかし家の中にいたのではどこに住んでいようと変わらないので、そろそろ外出したいと思う。でもマップが広大すぎて、一体どこに行けばいいのか、行きたいのかがわからない。私、ここに来て何がしたかったんだっけ。何で生きてるんだっけ。
外出するとかなり体力を使うので、家のことがおろそかになることへの恐怖心もある。一日外出を楽しんでも、家事ができなければ自分は本当にだめな人間に思える。生きている価値などとまた考えてしまう。それが怖くて、もう何もできずにいる。体力も精神力も足りなさすぎる。
しかしこちらに来てから、夜に泣きながらお気に入りの文章を音読するということも無くなった。この状態がずっと続けばいいな。
六月はとにかく外に出たいと思う。最寄りの駅でもいいから、何かをしに。
私は春から、あなたじゃない人と生活を始めます。
あなたのこと、すごく好意的に思ってるから、どうか幸せになってね。私たちはだめなところが似ているね。だめなところが似ていると、だめなところを許し合って認め合えてしまうから不思議だね(嫌悪してしまうこともあるけど)。
あなたの言っていた小説を読んだけど、本当の意味はわからないまま。また次に会った時に聞けるといいな。
私は春から、あなたじゃない人と生活を始めます。自分で決めたことだし、ずいぶん前からの計画だから、破るわけにはいかないんだ。それに、誰とどこで暮らしても結局私は私だから、何かが一気に変わることはないの。だから、だからこそ大丈夫なの。
あなたは春から、自分の夢を現実にする。楽しいことがあったら知らせて欲しいけど、それはきっとわがままなので、また機会があれば。
あああ、美しくおもしろおかしく暮らしたい。馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいにセックスして生きていきたい。美しい女の人と美しい肉体を重ねて、あたたかな日差しを浴びて、昼寝をしたい。ふかふかな枕を二人でわけあって、小さく微笑みながら眠りたい。庇護されていたい。本当は全部、死んだらいい。
ホテルの前まで来て「やっぱり無理」と断られた時のような
この何日間かは濃く、楽しいことといろいろな学びがあった。私はしつこいのがいけないところだと思う。
人は「また今度」「次回はぜひ」なんてことを言うけれど、その「次回」というのは基本的には無いものとして生きたほうがいいと、私は思っている。体調がよっぽど悪いとか、どうしても必要なものが捻出できないとか、それは仕方ないけど、チャンスはその都度つかみとりに行くべきだと思う。
人間はラブホテルに入る勇気が必要なのだ。「えいや!」と入る人間が私は好きだ。もちろん入ってから後悔することもあるかもしれないが、そしたらごめんなさいって相手に謝るまでだ。もしくは自分で抱えるか。その「えいや!」の精神を持たないと、大切なものを逃してしまうと思う。自分に資格がないことは諦めねばならないが、お膳立てがあるなら、最後までねばったら良いと思う。それは次への学びにもなる。
人はいつ死ぬかわからない。特に私は、いつまで生きてるかなんてわからないと思って生きている。人はいつだって死ねるが、いつまでも生きていられない。
私は掴み取れる人間でありたい。後悔しても、それを連れて進んでいくしかない。勝負に出ろ。勝負に出なければ、始まらないことがあるのだ。
あのブログ書いてたあの人、死んじゃったんだろうか。
すごく嬉しいことや美しいことがあると、「いや、この幸せやきらめきは一瞬で、一生は続かないんだ。その一瞬を抱きしめて暮らしても、その先にあるのは虚しさだけかもしれない」って誰かが(私が)ストップをかける。一生は続かないんだ。
だから、良いことが起きたって死にたい。
たまたま私はそういう気質に生まれて、薬でなんとかコントロールできてる部分もあるし、そうじゃない部分もある。落ち込んで、涙が出て、どうにもならない時もある。そんな時つい、どうして私がって思ってしまう。みんなはこんな気持ちになるのか?母親は?父親は?友達は?…もちろんそんな時間を味わう人もいるだろうけど、やっぱり大多数ではないと思う。どうして私はそういう風に生まれたんだろう。
どうしてを繰り返しても、解決にならないことは知ってる。意味付けをして楽になる場合もあるけど、私が求めてるのはそういうことじゃない。いつまでこれは続くんだろう。もしかしたら一生なんだろうか。そう思うとこわくて、自分の人生に一体どういう意味があるのか、爽快な気分になることなんてあるのかって考えてしまう。
あああ、涙も出ない。ただ意味がわからない。どうして毎日薬飲んで延命してんだ。
あのブログ書いてたあの人、死んじゃったんだろうか。
生きていかなきゃなんない、というのを、本当に、やっとわかりはじめた気がしている。
出会わなかった・結ばれなかった、っていうのは自分の人生の中で結構大きなキーになってるぽいぞと最近気づいた。
映画もそういう展開のほうが好きだし、「君の名は。」で二人が出会った瞬間醒めてしまったし、出会わない物語や結ばれない恋のほうが美しいって本気で思ってる。
でもそれは、相手と結ばれない未来をどこまでも自由に想像できるからだよね。無限大の未来。どこまでも幸せになれたかもしれないって、一生信じていられるもん。
だから、結ばれないことは美しくて、死はいつも魅力的だし、別れは詩になる。
でも私たちは地に足をつけて生きていかなきゃならない。これは本当に、ロマンチックじゃないよね。でも、美しくはあると思う。泥臭い、ひたむきな美しさ、みたいな。
生きていかなきゃなんない、というのを、本当に、やっとわかりはじめた気がしている。
だから、あの人に連絡しなくなったことも、消息がわからないことも、全部ロマンチックに思えて、時々ひっぱられそうになるけど、それは私を生活には結び付けないと思う。
さよならってちゃんと言えた試しがないのは、さよならって言えなかった人をいつまでも好きだからなんだろうね。