生き残っている意味をさがせ

どうにも気分が上がらない。

雑事は良い。いつもは面倒くさいのだが、洗濯やクリーニングなど、しなければならないことがあると、それに集中していられる。雑事にかまけて、一瞬憂鬱を忘れていられる。洗濯機を回せば回すだけ、洗濯は進んでいく。それは本当に心地の良いこと。

楽しいことも驚くようなこともたくさんあって、生きる糧みたいなものだって定期的に与えられているはずなのに、全然楽にはならない。気持ちは浮ついたまま、苦しいままで。

時々、苦しんでいる自分が好きなんじゃないかと考えることがある。悩むことはもはや趣味に近くて、私は自分をかわいそがってなぐさめることでしか生きていけないんじゃないかと。想像の世界に、あちらの世界に片足を突っ込んで生きてるんだろう。あちらには行きたくない。あちらは本当じゃない。あちらは本意じゃない。じゃあこちらは?

適応出来る人間になりたい。適応できないから文章やら何やらがうまれるというのはあると思う。けれど、何もうまない生き方が、もし、私の妄想している平常な精神、普通の心を持てる生き方なら、いったい私はどちらを選ぶだろう。

死ぬほど安寧が欲しい。安息が欲しい。息しなくて良いようになれば、もう何も考えなくて良い。答えは出ている。

坂元裕二が物語を作らない世界は満たされているのか、満たされていれば幸せなのか

今日はプレゼントなどを求めて、同じところをぐるぐるぐるぐるした。他の人に差をつける!私の愛が一番大きいことを示すのだ!と意気込んで、祝儀袋を買った。たぶん、いや、絶対届かないけど。妊婦さんを見て、彼女が妊娠しているところを想像して苦しくなった。これは恋なんかじゃない。もっと汚い思いだ。

 

年上の男性から思いを吐露されるのは嫌いだと思っていたけど、いつもきちんとしている人の口から語られるそれは悪くないものだと感じた。もう潮時かもしれない。

 

うーん。いろんなことをしすぎたせいかちょっとハイになっているらしい。何かが変わり始めているのを感じる。それは私の中で起こっている。お金を貯めろ、お金を使え、そして人と話して、見て聴いて嗅いで、書け。全部書け。もうそれで、しばらくはそれで。

 

人間関係はおおむねうまくいっている。昔はもっと苦しんでいたのに。人と深く関わらなくなったからだろうか。それとも、年齢と共に楽になってくるというのが人生なのだろうか。私の能力も少しは上がっているといいな。

 

ああ、こういう穏やかな気持ちだけでずっと生きていけたら。

いや、私は満たされないからこそ生きているのかもしれない。

 

私は坂元裕二の書く物語が好きなのだけど、坂元裕二が物語を作らない世界ってたぶん満たされてるよね。でも満たされてることと幸せってイコールなのかな。幸せになりたいって漠然と思うことがあるけど、じゃあ満たされたら、私が生きてる証ってどこにあるんだろう。痛みって生きてる証拠で、もっと健全な形で生きてることを感じられたらそれが一番いいのかもしれないけど、いまはこれがせいいっぱい。

満たされること、幸せになること、生きること。似ているけど、全部違うんだな、全部のこともっと考えなきゃいけないなと思った。私は真理に辿り着かなきゃいけない。そのために、考えることをやめてはいけない。

そしていつか、胸を張ってあなたに会う。

今朝、初めて指輪が欲しいと思いました。

やらねばならないことがある。

それはアイロンがけや洗濯や、新しいハンカチを買うことだったり、ささいなことかもしれないが、やらねばならないことである。

 

今朝、初めて指輪が欲しいと思いました。指輪をはめて、その手を少し空にかざして眺めたらきっと美しい気持ちになれると思います。けれどそれはまだ先のこと。私は他の人と同じようにするのが恥ずかしくて、人前で手をつなぐことも、貴金属をねだることもできないのです。その気持ちを汲み取ってくれる男の人が居たら、幸せな気持ちになれるでしょうか。

 

私のような女と付き合ってくれるだけで幸せだと、私が言います。その通りだと思う反面、自分を低く見積もらなくてもいいのではと思います。私は、認知が歪んでいるのだろうか。

 

何をしても悲しいとき、私は心が貧しいのかなとまた悲しくなる。いつになったら終われるのだろう。いや、終わろうと思えばいつだってそうできる。やらないだけなのだ。それは、ささいなことのひとつに数えられる、多くの人には重要でない出来事。

 

昨日は写真を撮りに出かけた。一枚も良いなと思うものが撮れなかった。iPhoneで撮ったもののほうが美しい気がした。本当は人を撮りたい。

無性に破滅したい夜に君のことばかり考えて父と兄と恋人のぜんぶをこなしてほしい

眠れない。調子がいい時っていうのはたいてい落とし穴の前を歩いているようなときで、私は気づかずに笑いながら、ゆっくりとその地面を踏み抜く。その後のことはもうわからない。真っ暗な場所で、泣いてみたりぼーっとしてみたりする。

君はどこにいるんだろうか。

君って一体どの君なんだろうか。

私はいつでも一発逆転を狙っている気がする。私を愛して、同時に自由と安心をくれる人が現れて、二人で幸福に暮らせることを夢見ている。いつかそんな日が来るんじゃないかと思っている。

無性に破滅したい夜。肉欲に溺れて、今までのことを一晩で台無しにしてしまいたい。

ああ、私はトリップしている。

 

君はどこだ。

最近は君のことばかり考えて夜を過ごしているよ。光熱費とか食費とか気にせず暮らしていけたらいいのにな。心配ないよって笑いかけてくれる人がいたらいいのにな。

お父さんとお兄ちゃんと恋人、ぜんぶほしい。おねがい。

自分には何にもないような気がして悲しくなる。誰かの声が聞きたい。でもそれは誰の声でもないような気もする。究極しにたいんだよ。

何も思いつかない。悲しい想像ばかりふくらむ。ここには最低限のものがあって、私は愛されてるはずなのに、一個が上手くいかないだけで駄々こねて、焦って、もうどうしようもないような気がしてくる。助けてくれって言う人もいないよ。みんな孤独な夜をどう過ごしてるんだ。みんなこんな日をどう過ごしてるんだよ。ねえ。

東京九段下の武道館までジャンプして、「日本の銀杏好きの集まり」をみてきた。

みてきたんです。大切なことも放って、飛行機乗って、みてきました。

その日は朝から雨で、ついてないなって思ったけど、13日の金曜日だし、なんか逆境があったほうが銀杏BOYZっぽいななんて思いながら、替えの靴下をビニールに包んでバッグに忍ばせて出かけました。物販が気に入らなかったときのために(結局買ったけど)洋服の下に世界平和祈願ツアーの時のTシャツ着て、行きました。池松壮亮も見に来てんのかな、九段下の駅から武道館って遠いのかなとか考えながら電車に乗りました。

駅で、今日一緒に行く女の子と無事に会えて、傘を差しながらぽつぽつと歩きました。神保町ってご飯屋さん多そうだねって言いながら、カレー屋と中華料理屋ばかりで、やっと見つけた地下1階にある定食屋さんに入ってお腹を満たし、その後また別の地下1階にある喫茶店に入って、お茶を飲みました。緊張する、私たちライブに出るわけでもないのに、と笑いながら、ゆっくりお茶なんてできなくて、結局予定よりも早く武道館に向かいました。

物販の列はとてつもなく長くて、彼女としゃべりながら、列は進んだり停滞したりを繰り返していました。カラスが鳴いているのを見つけて、カラスが道路の上を行ったり来たりしていた日のことを彼女に話しました。轢かれるよ、危ないよと思っていたら、銀杏の実を車に潰させていたんだよ、頭いいねって言い合っていたら音楽が流れ始めて、すわリハーサルか!?と思ったら、5時を知らせる夕焼け小焼けでした。なんだーと思っていると、ギターの音!ドラムの音ははじめ雷かと思ったけど、やっぱり演奏で、リハだったから音楽が流れたのは数十秒だったけど、涙が出そうになりました。物販に並んでる人を見て、峯田がこんなにたくさんの人を魅了しているってことがすごいと思いました。峯田、お前のために1万人以上が集まるんだぜ、いまここに並んでる人はみんな銀杏のグッズが欲しくてここにいるんだぜ、これってすげーよ。

物販買えたあとは席まで行って、斉藤由貴の「卒業」とか森高千里とか風の谷のナウシカとか流れてるのを、なんだよこの選曲って笑いながら、峯田を待ちました。

峯田が出てきた時のことはもうあんまり覚えてなくて、平和祈願ツアーのときとおんなじようなモッズコートだな、とか。あ、その前にファンのコメントで号泣して。でも峯田のおかげで生きてるやつがいるんだよな。いろいろ思って、肩が震えるほど泣きました。

そしたら峯田のエンジェルベイビーが始まった。新曲に優劣つけられないけど、これは新曲の中でも歌詞が一番好きで「どうして僕いつもひとりなんだろ ここじゃないどこかへ行きたかった」っていう出だしでまた泣いた。峯田は演奏終わったあとも会場を見て、うなずいて、また見て、うなずいて「そこにいるんだろ!そこにいるんだろ!そこにいるんだろ!」って何回も繰り返してて、峯田は確かに大勢の前で演奏してるのに、1対1で話しかけられてるような気がした。ずっと、ライブ終わるまでも終わったあとも、そうだった。峯田とわかりあえたみたいな錯覚がずっとある。

ライブが始まる前、女の子と「なんの曲一番やってほしいか」って話をした。いろいろあるけど「駆け抜けて性春」かなと彼女は言った。すぐさま同意した。前回のツアーでやらなかったからだ。あれ聞いたら、なんか明日からもまたやっていけそうな気がした。

怒涛の勢いでいろんな曲歌って、拳上げたり、手叩いたりして、ライブは終わった。峯田のMCはどれも良くて「生まれてきて良かったと思った日はいっぺんもない。でも生きてて良かったって思えたことは何度かある。今日みたいな日です」って言ってて、泣いた。自分みたいな人間は結局満足することはないんだと思う、持ってる人だから満足できるわけじゃないみたいなことも、すごく共感できた。

恋人いてもお金持ちでも人気があっても子どもが居ても、満足できない人間は居て、それはもう仕方なくてどうしようもなくて、持ってるからって幸せって思われたらたまんねえよなって思った。持ってるのに満たされないなんて馬鹿げてるとか甘えてるって思われるかもしれないけど、でも確かにつらいんだ。いつもどこか行きたくて、ロックも全部救ってくれるわけなくて、どっかでずっとひとりで、でもいますぐやめようって気は、ないんだ。やめたいと思うことはあっても。

 

ライブ終わって満身創痍で、駅までの道をほとんど無言で歩いた。ふらふらしながら、何にも言えなかった。女の子が「明日から生きていくのつらくなりそう」って呟いて、上手い返しもなかった。でも今日一緒に来られて良かったって言った。

帰り道、「東京」の弾き語りしてる人がいて、前のメンバーについて熱く語ってる男の子たちがいて、セトリに文句言ってる女の子たちもいて、私たちはやっぱり無言で、駅を目指した。またねと言って別れた。

 

いま会場で配ってた新聞に峯田の「555問555答」が載ってたので読んでるんだけど、「音楽が世に与える影響とは?」

「たいしたものじゃないと思います」

って峯田が答えていて、また泣きそうになってる。世の中を変えるとか大それたことじゃなくて、となりにいる人を元気にするような気持ちで音楽やってる人って、なんか信用できるじゃん。音楽で世界征服目指してるのも超かっこいいけど、銀杏の音楽は友達みたいなさ。

40歳になっても「恋は永遠 愛はひとつ」なんて歌ってまったく!まったく違和感のない峯田にただただすげーって思うばっかりで、ライブの感想うまくまとまらないな。2000字とか書いてるのに何にも伝えられないな。

あのライブが良かったとか悪かったとか、そういうことじゃなくて、たぶんこの文章はもっとドライに銀杏BOYZを見てる人からは気持ち悪くて、ファンじゃない人からは冷ややかな目で見られるんだろうな。

朝恥ずかしくなるいつものやつだとしても、まあ書いて良かったな。私も生まれてきて良かった日をいきなり目指さないで、生きてて良かった日をさがしていこう。悪い予感のかけらもないね、まじで。みんな死ねって言われてなんか良かったよ。死ってこわくない気がした。