大学生こええ 若い女の人がこええ

着飾っている若い女の人がこわい

同年代のおしゃれな女の人がこわい

声の大きい男子大学生がこわい

ヴィトンのストールを羽織ってお昼を食べに出かける丸の内のOLがこわい

人前で過剰にいちゃつけるカップルがこわい

人前で子どもを大きな声で注意する母親がこわい

心配したんだぞと言いながら娘の頭をはたく父親がこわい

何もかもを見透かしたような先生がこわい

クラクションがこわい

幸せがこわい

安定のあとの不安定がこわい

想像がこわい

こわいものばっかり並べてる自分がこわい

楽しい出来事がこわい

楽しむことがこわい

明日のことがこわい

カフェオレの味だけが確かなこと

十六夜

私も誰かのブログを読んでいつも励まされている。ああ、生きてる人いるじゃん、苦しんでる人いるじゃんってちょっとほっとする。と同時に、いつこのブログが消えるかわからないって恐怖を覚える。いきなり読めなくなったら嫌だな、更新止まったらつらいなって思う。

二年位更新の止まってるブログがある。すごく好きなブログだったから復活を待ち望んでいる。死についてよく書いている人だったから、もう一生戻ってこないかもって考えると悲しくなる。自分もそうなるのかな、と考える。生還してほしい。

他人には生きることの大切さを説くことができる。「死ぬとか言うのやめてよ」と憤る。自分には、そんな感情の否定はしない。いつも死にたい気持ちを肯定する。未遂をしたことがないのは、恐怖もあるだろうが、まだどん底まで行っていないって思うからだ。食べられなくなったら死のうって思っているんだろう。自分を大事にしてくれる人が死ぬまでは、生きなきゃいけない気がする。でも両親の死を待つのは長すぎるとも思う。

学校に行く時、このまま失踪したいと考える。学校で先生としゃべる頃にはそんな気持ちも萎えている。いつも通り帰路に着き、明日着ていく服を考えている。

どうなるんだろうな。想像はいつも、失敗や恐怖の中で立ち止まる。自分や近しい人間が死ぬところを思い浮かべてみるが、今よりマシになる気がして、希望すらある。

セックスの後に泣く女を抱きたくない。セックスの最中に気持ちいい以外のことの考える女と一緒に居たくない。泣いたあとはさっきまでのことが嘘のように笑っている情緒不安定な女は嫌いだ。精神が安定している女としか付き合いたくない。なんで延命治療してるんだ私は。全部変だ。

ツイッターは止まっている。情報の多いものに疲れてしまった。最近はなぜか寝付きが良い。一生これが続くと良いのにな。ラジオ深夜便ばかり聞いている。もっと書きたいことがある気がするのに、私の中には特になにもないのだ。

また居もしない子どものことを考えている

自分は赤ん坊をかわいいと思える人間だと思っていた。でもどちらかといえば胎児のほうが好きだということに気づいた。母親に許可を得てお腹を触らせてもらうと、温かくて、涙が出て来る。生命の神秘ってやつだ、尊いものだ。出てきたあともそれなりに可愛い。母親が頑張って産んだんだ。可愛い。大事にしなきゃいけないものだ。

家に赤ん坊が遊びに来て、私は喜ばせようとお菓子をプレゼントしたり、ぬいぐるみを手当たり次第に出したり、絵本を引っ張り出したりした。でも読み聞かせはしなかったし、赤ん坊が帰ったあと、絵本を全部ウェットティッシュで拭いた。

可愛いとか、喜んでほしいとか感じているつもりだったが、それは全部恐怖に近いものだったのかもしれない。私は赤ん坊が泣いているのがこわい。嫌だ。

可愛がっているわけじゃなくて、何とか泣かせないように必死だっただけかもしれない。

子どもとの接し方がわからない。何を話したら良いかわからない。つまらないやつと思われるのがこわい。嫌われるのがこわい。だから可愛いと思って、好きだと思いこんでいるのか?

赤ん坊が泣くのは嫌だ。大きい声。どうして泣くんだろう。

私は自分が泣いているのも嫌いだ。どうしてしょっちゅう泣くんだ。私は子どもみたいだ。早く泣き止んでほしい。自分の中にいくつもの自分がいるのは当たり前のことだ。私は私の子どもの部分がどうしても許せないと同時に、甘やかしてほしい。もしかして、自由に泣いている子どもがうらやましいのか?

子どもと暮らしている自分が想像できない。私が子どもなのに子どもなんか育てられるわけないだろ。彼は子どももいずれは欲しくなるかもしれないという。自分は機能不全家庭で育ったのになぜ希望を持てるんだろう。子どもの顔を見せて親孝行したいとか言う。なんでいまさら親を大事にしようとするんだ。そのために子どもを使うな。私は無理。私のところに産まれる子はかわいそう。でも彼のことは好きだ。でも誰の子どもだとしても、産みたくないんだ。少なくとも今は。絶対に。

「私も同じ考えだったけど、産んでみたら可愛くて仕方がないですよ。今二歳です。二人目も考えています」。

そうか。私は今日も子どもを産まない人生について考える。子どもが欲しくないと言い放った男の人のことを考える。子どものことが考えられないと言った女の人には出会えたことがない。赤ちゃんを抱かされても、早く離したいという思いでいっぱいになる。

私の腹、一生からっぽであってほしい。

みんながまともにみえる

ここ二日くらい寝付きが良くて、とっても幸福だなあと思っていたら今晩はこのザマ…ベッドにいても悪いことばかり考えるので起きて文章とも言えないものを書くことにした。

 

進捗はなし。それ以外のことが忙しいし、精神的負担が大きい。電話を一度できたから、それは嬉しかった。月に一度話すくらいが良いのかもしれないな。

今月はライブに行くんだ。楽しみだ。と言ったって生きることがつらい人の集まり、みたいな感じなんだけど。楽しみだ。

 

あー薬は効かない。目は疲れていて頭はぼーっとしているのに入眠できない。おいもう三時前か、なんだこれ。

生まれてきた意味を考える。だめになったらどうしよう、と考える。私は、私はどうなるんだろう。誰かに助けられながら生きながらえるのは、意味のあることなのか。お金がなくなって、もう、歌舞伎とか落語とか見に行けなくなったらいやだなあ。そんなら生きなくたっていいなあ。苦しいなあ。生きていて楽しいことってなんだろう。将来のためにいまお金を使わず貯金する。本当に虚しい。いま使いたいのに。いま楽しいことしたいのに。

私に能力があればな。私に普通に仕事ができる能力があればいいのに。甘えてるのではって言われたら、何も言い返せないや。

強い心が欲しいな。健康な身体と強い心があって、普通に生きていきたいな。いまがたぶん穏やかな日々すぎて、もう将来なんてないような気がするな。これ以上良くなることってあるのかな。

唯一良かった事があるとすれば、私は子どもを産み育てるのがこわいこと。子どもを簡単には産まないだろうから誰かを不幸にする可能性は低い。私は何度も中絶や、子どもの居ない人のインタビューを読む。私は正しい、私のような人間がやっていいことじゃない、その選択は間違っていないと何度も頭の中で繰り返す。友人たちは結婚していく。年度末までに二回招待されている。結婚は本当にめでたいことだ。彼女たちは子をなすだろう。私はそれは心からすごいことだと思うし、尊敬する。けれど私はそれをやっちゃいけない。私は、だめなやつだから。ああ、結婚とか妊娠とか出産によって友達と縁が切れていくのは嫌だなあ。そんな日が来るのかなあ。話が合わなくなって、取り残されて、私は何を楽しみに生きていくんだろう。私ができることってなんだろう。

子どもなんてぜいたくなこと言わないから、打ち込めることを下さい。私にもできるような、少しの責任感と達成感をくれる仕事を下さい。

みんなが、みんながまともにみえる。みんなまともで、私は、私はなんだろう?

「さよならを教えて」全ルートクリア感想

そういえば、「さよならを教えて」を全ルートクリアした。以下エロゲの感想なのでご注意下さい。

 

 

一番つらかったのは田町まひるルート。仔猫のような少女。暗いゲームだし、比較的明るそうなキャラからいっとくかと思ったら…これが大外れ。グロかった。動物が乱暴されるのは見てられないよ。

次にクリアしたのは高田望美。屋上の少女。複雑な家庭環境によって傷ついている少女って好きなんだよなあ。心が痛くなると同時に、こちらがイニシアチブをとれるので、支配的な欲望が満たされる。なんせ相手は幼い少女。僕が頭を使って少し言葉をかけてやれば簡単に懐柔できるのだから。落ちていく女の子は好きです。

次は目黒御幸。図書館にいる少女。コミュニケーション能力が低そうな感じが、見ていてつらかった。彼女についてはあんまり記憶がないなあ。

次は上野こより。体型とか性格とかかなり好みでした。その大きな胸で抱きとめてくれるのかと思いきや、主人公を責める責める。何度も心を射抜かれました。

最後は女神さまこと巣鴨睦月。彼女のおかげで僕は救われるのかと思いきや、そんなことはないのです。そううまくはいかないのです。彼女に勇気を与えることはできたかもしれないけど、もう彼女に会うことはないだろうね。良くなった人ってのは帰って来ないから。

先生たちもとっても魅力的でした。どの登場人物も声がとても良かった。夕暮れが下敷きにある音楽も素晴らしかったです。

 

学校と病院って思えば似ているのだ。学校は思春期の時に入る病棟。そこで子どもでいられなかった僕は再び学校に舞い戻る。本当は学校の中に答えはない。ウテナがそうしたように、さっさとそこを出てしまうのが正解なのだと思う。

人見くんのように自分や他人を分析して生きていくのが間違っているとは言わないけれど、それは目の前の相手を見るということが欠けた行為だとも思う。まあ人見くんは人見くんなりに幼いころから厳しく育てられたりした苦労があるんだと思いますが。その抑圧がこういった形であらわれているんでしょうね。

 

さよならを教えて」は考察され尽くしているし、発売からずいぶん経っているから私が書くことなどもうほとんど残っていない。

さよならを教えてほしいというのは全ての少女たちの願いであり(睦月はちがったかもしれないが)、つまり人見くんの願いであった。人見くんよ、「さよなら」は教えてもらうんじゃなくて自分から選択するものなんだぞ。まあ結果的に「今いる世界にさよならしようか」しちゃったわけだけど。でも本当に「さよなら」する勇気はないんだよね、わかるよ。私もまだそうしたくないからエロゲやってるわけなので。

人生のどこかで、というか今もずっと「さよなら」したいとは思ってる。けどこのゲームを造った人が世界のどこかにいるから、私はまだ「さよなら」しないでいられる。アイコンの巣鴨睦月は、私のために祈っているかのようだね。

夕暮れどきに迷い込んだら、このゲームを思い出そうと思う。