あなたの文章に救われている
素敵なブログに何か言うのは野暮であると思いながらも、載せずにはいられなかった。
今日見たドラマに、すきなものをノートに書き記している子がいた。私も真似しようかなと思っていたらあじさいすきおさんのブログにもすきなものが書かれていた。何となく嬉しく、すきなものをたくさん書くのは素敵だなあと思った。
私のすきなものはなんだろう。得意なことはなんだろう。あんまり思い浮かばない。そのドラマの主人公もすきなものがなかなか思いつかない。そしたらノートの子に「私、すきなもの知ってるよ」と教えてもらうのだった。他人から見ると、不思議と自分のことがよくわかるのはなぜだろう。自分のことなんて、本当にわからない。
本とか、映画とか、いろいろあるけどもっと具体的なものを書きたい。たとえばお風呂で食べるみかん、柑橘系の香水、貯金箱、長電話、かわいい柄のカーテン、鍵の形をしたUSBメモリー。
短歌に救われた。お話も、短編小説のようで美しいと思った。
短歌をやっている人は日常のささいなことと言われるような、普段私たちが見逃してしまうようなことをすくい上げて文章にするのが、どうしてこんなに上手いのだろう。
二度と来ない燃ゆる夜を思いだす。私はヒーローになりたい。もしくは、ヒーローと一緒に戦うヒロインに。
明日はまた寒くなる。今日も大したことはできなかったけど、洗濯と、少しだけ掃除をした。本が読めない。はやく読めるようになりたいと思う。
何よりも抱きしめたかった
朝からいろいろ動く。血を採ったり、DVDとCDを借りたり。春の装いをしたいけれど、まだまだ寒い。今日もマフラーを持っていけば良かったなあと何度か思った。
朝、ベッドで眠っていたら後ろからあの人に抱きしめられる夢を見た。完全に願望じゃん、と思いつつ夢占いで調べる(私は悪夢だろうが良い夢だろうが夢占いをする。もっとも、最近良い夢なんて見てないけど)。
すると「相手もあなたに思いを寄せています」みたいなことが書いてあって、「まじかー!」と興奮したが、「ただし相手からはアタックしてこないでしょう」って続いていて落胆。大体、私はアタックされる恋愛ってしたことないんだよな。それは私に人間的魅力が無いからか、それともアタックしてこない男性を好きになるのか。前者だった場合は、この謎は永遠に解明されなくていい。
けものフレンズの最終回に「良かったな―」となる。四回目のシン・ゴジラにも感動する。いつも同じところで泣く。
あの人は遠くに行ってしまうし、私はまだ一年頑張らなきゃいけない。好きな人も憧れの人もいないあの場所で一体どんな風に頑張っていけばいいのかわからないけど、とにかくやっていくしかない。覚悟はまだできていない。
やっぱり漠然と、毎日つらい。自分が何を求めているのか、全くわからない。何をすべきかもおぼろげだ。そんなのみんなわかってないのかもしれない。むしろこの宙ぶらりんな、モラトリアムという時期を楽しむべきなのだろうか。
これをやってみなさい、あれをやってみなさいと言ってくれる相棒がいたら楽しいだろうな。
いや、タラレバ言っても仕方ない。そんな人はいないんだから。
私は求めすぎる。恋心なんて放っておいて、楽しい楽しい友達同士の会話を噛みしめていれば良かった。過ぎてしまったことは仕方が無いけれど。
もしあの時に戻れたら私は違う行動をとるだろうかと考える。わからない。好きだと伝えるかもしれないけれど、やっぱりそれきり会わないかもしれない。
好きになってしまった以上、もう仕方がないのだ。抑えることはできないし、抑えて付き合っていても自分が苦しくなるだけだ。
愛されることも愛することも苦手で不器用なままに、成長していく。歳をとれば上手くなるなんてことはなくて、ゼロはずっとゼロのまま。踏み出さなければ。
ああ、抱かれたかったわけじゃない。抱きしめられたかったんだな。そして何より、抱きしめたかった。
こうしてすべてを忘れていく
私は同年代の友達も地元の友達もあんまりいないけど、好きな人はたくさんいるし、仲良くしてくれる人もいるからそれでいいんだ。
明日はこなさなければいけないことがいくつかある日。やりたいこともある。DVDを借りたいし、CDも借りたい。あと、ドーナツを食べながらカフェモカを飲みたい。雑誌を読みながら、春に着たい服を選びたい。ささいなことかもしれないけど、私にとってはどれも大事で、喜びなのだ。
薬と深夜という時間帯に頼りながらエントリーをこなす。落ちて当たり前だと思わなければやっていけない。
ベッドに入った途端に全能感にとらわれて、私は何でもできる!自由だ!という気がしてくる。バイトでも就活でも何でもできるぞ!やれるんだぞ!全部やりたい!!おしゃれだってメイクだってできるぞ!みたいな気持ちになり、落ち着くまで大変だった。
反動はまだきていない。くるかもしれないし、こないかもしれない。がくっとどこかで下がるのがとても恐ろしい。こわいな。
こわいな、嫌だな、と思いながら生きていくしかないのだと思う。そして、その感情を自分のものとして受け取った時に物語や言葉が出てくるのだと思う。それがいつになるのか私にはわからない。自分で無理やりにでも出さないといけないのかもしれない。
夕方買い物に出た時、コートがいらないくらいの暖かさだった。これからすぐ夏になって、そしてまた寒くなって、死んでいくのかな。それまで少しでも人を喜ばせたいし、できれば自分のことも喜ばせてあげたい。
恋は憤りと共に
タイナカサチの「誰にも言えない気持ち」という曲を聞いていて、「わかるわかるー理想の偶然を期待してる自分がいるよねーーーー!」と、恋愛してる時だけ恋愛ソングに過剰に反応しちゃう人間になってたんだけど、やっぱり違うなと気付いた。
私、怒りに近い感情を持っている。もっと上手くできなかった自分に、そして踏みとどまったあの人に。手を引っ張ればついてきてくれたかもしれないが、理想は手をつないで歩くことだった。それが実現しなかったことに対して憤っている。上手くいかないこと、私の思い通りにできないことが多すぎる。しかしいちいち腹を立てていたら生きていけない。生きるのが困難になってしまう。
寝ざめは最悪。「やだーーー!行かないでぇぇぇぇえええ」と叫んだ自分の声で起床。男関連ではない。私の中に巣食っている寂しさとでもいうのだろうか。
まあ、頑張ってこなした日だったと思う。節約もしたし。
未来は明るいような気がしたが、単なる躁転だったのかもしれない。
昨日の夕方は起き上がれないほどつらくて、夜は少し元気になり、今朝は洗濯をしてご飯を食べて、夕飯はあまり食べられず、気づいたらこんな時間だ。
楽しいことが起こればいい。永遠に終わらない楽しいことが欲しい。私にそれを保証してほしい。
楽しい事が起こると、次にくる不安のことまで考えてしまう。私はそれがとても悲しい。
感情の不利幅が
感情の振れ幅、または不利幅ってやつがものすごく大きくて、さっきまで泣いて叫んでつまらないことで激昂していたのに、今はもう楽しそうにテレビを見て笑って、昔の話をして懐かしんでいる。憎しみも嬉しさも長くは続かないということを、毎日身を持って体感している。
明日は外出せねばならず、自分に予定があるというのが嬉しくもあり、でもそれ以上にきちんとこなせるかどうかが不安だ。外出の前日だというだけで人はこんなにもおかしくなってしまうものなのか。
自分の子を残すということについては中学生のころから考えていて、今でも考え続けている。私が最近まで好きだった人は「子どもを作る予定はない」と言いきっていて、子どもが欲しい、早く結婚したいと言う人が多いなかで特別な存在に見えた。彼が子どもを作るかどうかは別にして、自分の生を肯定できるようになったらいいなとは思う。生きやすくなれ、と願う。
手帳の表紙にシールを貼って飾り付けてみたり、かばんを元あった場所に戻してみたり、生活らしいことをしてみる。
本当は洗濯しなきゃいけないし、ご飯をきちんと食べるとかそういうことをしなければいけないんだけど、できない。私は何もできない。できるように、回復しなければ。回復したい。はやく。元気にならなければ。
焦っても何かが良くなるわけではない。でも焦る。「世間体というものもありますからね」、と誰かが言った。