おおきくなりたくありません

すきなものはたくさんあります。苦手なものはこころのほつれ。

あなたのことが大すき。

潮の満ち干きのように

すき、とか

きらい、とか

行ったり来たり

 

オールをこぐ手に

がかさなって

そのあいだだけは

おなじ方向をみていられる

目的地についてしまえば

あなたはまた

瞳を泳がせる

 

白いワンピースを翻して

ももが空気に触れる

かかとについた土も

気にせず

その視線だけが

青く

閉じ込められている

 

遠い昔のパーティー

人波のなか

今日が一番良い日だと言った

思い出に恋したあなたは

海色の瞳を

いつまでも手放せないままで

 

 

「いままで出会った人の中で、あなたのことがいちばんすき」

あなたの瞳に映ったわたしを

何度も

なぞるようにして

みつめていた

 

「だいすき」

精神衛生上良くない日記

がーっと死にたい気持ちが来ている。ちょっと躁なのかも。そういえば今日、2時間くらい集中して作業をしたし、5時に起きたし、昨日は遅く寝たし、でも妙に心は鈍感で、体調は良くない。結局そういう日はお金をたくさん使ってしまい、こうやって夜になると、自分の調子が悪かったことに気づく。

ああ、良いものを書きたいという欲に振り回されて、自分の感情が見えていない気がする。私の感情を美しくラッピングしたものが作品なのか?わからない。ナイフで削って形を整えたものもあるし、不自然なラッピングや過剰包装されたものもあるだろう。私は「なんか良いね」って言ってもらえるくらいのものを生み出したくて、でもそれは本当に難しいことで、途方もない。これに耐えられる人が、創作の世界で生きていけるんだろう。いや、耐えられない人だからこそ、作品を生めるのかな。ああ、全部わかんないや。

やらなくてはいけないことがたまっている気がするが、何から手を付ければいいかわからず苦しい。終わらせたいなあ。早く全部を終わらせたい。何も楽しくない。前みたいに心躍ることがないよ。悲しいなあ。

同じ曲ばかり聞いて癒やされて、そういえば最近泣いていないことに気づく。激しく揺り動かされることがない。ただただ、なんとなく寂しくて悲しくて、体も心もついてこない。

食欲はある。物欲も多少は。でも、眠るのがこわい。眠る意味がわからない。明日に備えなければいけないなんてことはわかっているんだけど、こわい。眠りに落ちるまでにいろいろなことを考えてしまうから。早く全部終わってほしい。みんな一所懸命生きてるのに私はなんなんだろうか。何を成しているのだろうか。実りはない。何もない。

もう子どもを育てるということは無理なんじゃないかなと思っている

前々回の記事で200記事目だった。よく書いたものだなあと思う。読んでくださる方、スターをつけてくださる方、そして書き続けている方、いつもありがとうございます。

 

今日は憂鬱がひどく、考える力が衰えて大変だった。次に何をすればいいかわからなくなるのだ。やらなければいけないことがあっても気力がわかず、何となく家に帰りたくない。かといってやりたいことも見つからないし、買い物で気晴らし!なんて体力も判断力もない。こんな時は何も考えずに淡々と物事をこなし、早めに帰って寝てしまうのが一番だ。帰りたくなくても、そうすることが明日への助けになる。

走っていない、ましてや歩いてすらいないのに動悸と息切れが起こる時がある。深呼吸してもなかなかおさまらず、口元をおさえてうずくまる。キッチンでうずくまっていると、このまますべてが終わってくれそうな気がするが、そんなに都合良くはいかない。何事も勝手に終わってはくれないのだ。

 

今日のご飯はものすごくまずくて、本当に味がまずかったのか私の味覚が疲れていたのかわからない。食事をするのが億劫な時があって、カプセルを10個くらい飲んだら1日に必要な栄養が全部取れればいいのにと思う。食事が特別な娯楽として確立していったらいいのに。食べたくない。痩せたいとかそういうことじゃなくて、食べるのは憂鬱だ。理由はわからない。箸を持ち、口に運ぶことは私にとって面倒な作業のように思える。かと思えば、美味しい美味しいときゅうりをかじる日もある。

 

唐突ですが、もう子どもを育てるということは無理なんじゃないかなと思っている。私は遺伝性ではないけど疾患があるし、ブログを読んでわかる通り精神の安定しない人間だ。今後所得がどうなるかもわからない。愛する人と子どもを育てることに憧れないではないが、それよりも子どもが悲しんだり苦しんだりすることのほうがかわいそうでならない。私の好きな人はとても子育てに向いていそうだから、もし子どもを育てたいのであれば、お別れをするしかないと思っている。

なんてちょっと潔く書いているが、今も心は揺れ動いているし、どうなるかなんて誰にもわからない。何ヶ月後かに「結婚しました。出産予定は来年の初夏です!」とか書いているかもしれない。

 

とにかく1日生きることを目標に。明日なんて遠い未来のことはわからないさ。

好きな人の、好きな人

美しい人の顔が似通ったものであるように、頭の良い人の文章も似通ったものになるのかもしれないと思う。具体的に、景色や事象や心情をきちんと描写して、なにひとつとりこぼすまいと丁寧に打ち込まれた言葉は隙間なく整頓された本棚を見ているようで、気持ち良い時もあれば、気に入った本があっても抜き取っていいのかとびくびくしてしまう時もある。

 

好きな人の好きな人について考える。好きな人の好きな人をみつけるとついジロジロと見てしまう。この人、白いハイネックのセーターなんか着てさ、村上春樹の主人公気どりなんじゃないの?なんて、着ているものにすら難癖をつけてしまう。坊主憎けりゃ、というやつだろうか。

あんな奴やめときなよ、なんて思うこともあるが、その子が幸せならそれでいいかと思い直す。誰かの好きという感情をコントロールする権利なんて、私にも、誰にもない。その人に恋人がいたとしても、その恋人ですら誰かの恋心を否定するなんてできない。好きになることは始まりだし、全部が終わることでもあるからだ。今までの感情全部がスタートしなおすんだ。再構築が始まれば、誰も止めることはできない。

 

最近本当にだらだらしていて、2枚くらい紙を埋める日もあれば、140字で完結する日もある。気力がない。外に出て行く理由がない。私は、生きていることに現実感がない。痛みも苦しみもないことは本当に私が求めていたことだったのだろうか。わからなくなる。

それがまた、苦しみにつながり、しかしてその苦しみは何も生み出すことがない。

ベッドに入った時にふと思い出す人がいることは、幸福以外の何だと言うのだろう

青いワンピースを買ってごきげん。2万円あったらすぐ1万円を遣っちゃうような人生。1万5千円残せたら安定した生活が送れるだろうし、2万円使ったら誰かと話すときのネタになる。それを元手にお金を増やせたなら、人に話せてなおかつ生活も楽になる。私は宙ぶらりん。

 

昨日はまあ体調が良かったのだが、今日はもう打って変ってどん底のようだった。90%か20%しかないのかって、自分でつっこみをいれても、鈍痛が過ぎ去ることはなく。

ただベッドの上で時が過ぎるのを待っていた。夢も見ず、音楽も聞かず、あの人のことも考えなかった。

いつか誰のことも考えなくなってしまう時がくるのは少しこわいな。好きな人、異性でも同性でも年上でも年下でも、自分が好きな人のことを考える時間がなくなるのは寂しいことだと思う。ベッドに入った時にふと思い出す人がいることは、幸福以外の何だと言うのだろう。

 

上手い文章や誰かにほめてもらえる文章を書きたいと思うけど、それよりももっと大事なのは自分が書きたいことを書くことだ。詩にしたいから、エッセイにしたいから、小説にしたいから、短歌にしたいから、だから言葉を編むのだ。そこに一番の美しさがある。

 

最近、体重の増減を気にし過ぎている。昔は本当に何も考えずに好きなだけ食べていた。ラーメンは替え玉していたし、ご飯3杯くらい平気で食べていたし、甘い物やお肉もぺろりと平らげていた。しかし健康と美しさのことを気にするようになってからは、なるべく量を少なく、野菜や果物をとることを心がけている。しかし根底にあるのは自意識のゆがみのような気がして、私もいつか摂食障害になってしまうのではないかと思う。

私は幼いままでいたい。実際、中身はとてつもなく幼いし、教養のない女だ。だから誰かに守ってもらわなければ生きていけない気がする。しかしいつかはそこを乗り越えていかなければいけない。私は守られる立場のままではいけない。体重が軽かろうがなんだろうが、そんなのなんの自慢にもならない。私は善き女、善き人間になりたい。善く生きることを目標に、1日を撫でる。