おおきくなりたくありません

すきなものはたくさんあります。苦手なものはこころのほつれ。

人は弱いからきっとそのイベントを大事に生きていくのに、弱すぎるとイベントを体験することもできない

ああ、何にしてもお腹が痛い。生理でもないのに。

「子供なんていらないのに」ってアスカの言葉を思い出す。そうだよね。生理なんて終わってしまえばいいのにさ。そしたらもう産まなくてすむっていうか、産みたいかもとかそういうことに惑わされなくてすむ。産んであげたいみたいなおこがましいことを思ったりもするわけで、でも私の子供なんて絶対幸せにしてあげられないから、かわいそうだから、最初から生まれないほうがいいと思う。でもそれが揺らいでしまうときが、若いからか意思が弱いからかわからないけど残念ながらそういう時があって、私は困ってしまう。だから普段から子供を産まないことに関して強固になっておかなければいけない。その意思をべたべたに塗り固めて、何があっても揺らがないようにしなければいけない。

 

体の不調が去ったと思ったら憂鬱がきて、最悪だ。タイミングが全部悪い。

タイミングとか言って言い訳してるだけじゃん、早く動き出しなよっていう声を無視するのも疲れる。本当に苦しいのか自分や他人をごまかすための演技なのかわからなくなってくる。本当の自分とかそういう段階はとうに終わっていて、私は分裂したまま生きなければいけないことを知っている。死んでしまいたい、早く。ていうか終わらせてくれ。

 

日常に終わりがないことが恐ろしい。結婚とか出産という区切りのイベントがないままに進む私は、何を目標にしたらいいのかわからない。でも健常でなければそのイベントはこなせないし、それは人生の支えになる。じゃあ私は支えのイベントもないまま、でも孤独に耐えて生きていかなければならない。人は弱いからきっとそのイベントを大事に生きていくのに、弱すぎるとイベントを体験することもできないんだ。じゃあ八方塞がりじゃん。

 

私には人形町に行く用事もない。お金は少しだけしかない。友達もいない。じゃあそれら全部があったら死にたくないかというとそうでもない気がするから、勝手。全く勝手だ。どうすればいいのかわかんない。答えは一生ないと思う。ごまかしながら生きていくしかないのに、時間だけ多すぎる。時間だけおもすぎて、押しつぶされて死んじゃいたい。

ただそれだけでは生きていけない

生の不安に襲われる。死の不安ではない。いつでも私をおびやかすのは私がいま生きているということだから、生がある限り私は怯えていなければならない。死んだらもうその心配はしなくていい。そう思うともう、足を踏み入れそうになってしまう。たぶん簡単なことだ。少しの勇気、時間の調節、場所選び。計画を立てることが大事だ。生活の中に組み込んで、そしてそちらを自然なほうに持っていってしまえば。

誰か救ってくれ。他力本願じゃ一生無理だね。じゃあなんで病気なの、こんな病的な思考に冒されるの。

誰が悪いとかはもうないんだろう。それでも誰かのせいにしたい。誰かのために生きていくなんて無理。具体的なこと何もやってないのに不安になるなんて狂ってる。

今日のマーボー豆腐は美味しかったよ。私が作ったよ。でもただそれだけで生きていけないのが苦しい。

いまきみとセックスをしたい

できることならいまきみとセックスをしたい。そしたら全部、少なくとも今はつらいことを上書きできるから。かき消していこうよ、一緒に。

そんな誘いに乗って僕は東京で女の子と会ったのだ。その子は自信がなさそうで不美人で、服装だけは妙に挑発的だった。

「セックスしなきゃ終わっちゃうんだよ。しなくてもずっと生きてられるとは思わないけど私なりの延命措置なんだよね」

「将来死ぬつもりなの?」

「死ぬつもりっていうか、私みたいのが生きていけるって思えないんだよね。社会とか世界って言われるものに適合できない、と思う。私なりにいまやってるつもりなんだけど、どうせ死ぬんだなって思うと、いろんなものが削がれていって…結局こういう安易なことになっちゃう。でも良いって思ってるよ」

「僕はそこまで死ぬとかは考えてないけど、セックスせずに終わる人生は嫌だったし、なんか僕が関わることによって…変えられたらとか、虫がいいけど」

「ねえもういいよ、早くしよう。時間はたくさんあるけどないんだよ。もう切羽つまってんだからさ」

 

結局セックスになっちゃうんだね。会話や言葉や目線では終わらないんだね。癒やされたいし、救われたい。本当はセックスなんて誰もしたくないって私は知ってるよ。そんなに楽しいもんじゃない。驚きも最初のうちだけ。ゲームや映画の方がよっぽど興奮するよ。でもそれじゃだめなんだ。嫌いだけど気持ちいいことするのが私には一番良いんだ。だからやめないよ。いつか死ぬまで小さく死に続ける。

しかし夜、よる

気づけば一月以上も書いていなかったのだ。最近は毎日家事をやっている。かぼちゃの煮つけを作ったり、洗濯や掃除をしたり。少しずつリズムを作っていっている。以前の自分からは考えられないような(それでも普通の人々に比べればだらけているが)生活。

しかし夜、よる。専属の売春婦みたいな気分になる。私は愛玩具のような気がする。私は何も生産せず生きている。私は誰かとのスリリングなことを求めている気もする。心と身体がばらばらになる瞬間があって、けれど完璧にばらばらになってしまえば楽だと思う。私が私を否定するのをやめてくれない。

けれどこの生活には起伏が無く、私は本当に楽だ。満足したことなんて一度もないような気がするから、これが最上の幸せにも思える。

もう何も考えなくていい。私は生産者でも消費者でもなく、ただ生きている。いや、死を待ちながら生きている。ずっと待っている。

 

最近すべての男たちの夢を見る。

ずっと降り続いて欲しいと思う

雨の日は家の周りが静かになるから好きだ。こんなどしゃぶりの日に外出する用がなくて良かった。夕方には夕飯の買い出しに行かなきゃいけないけど、と二度寝を決め込む。目を覚ますと開け放ったままの窓から、雨が降り込んでいた。失敗、失敗。

対して動いていないのに腹は減る。お昼を食べて、文章を読む。知らない映画、聞き取れない外国語を流しながら、また時間は過ぎてゆく。

私のしていることは売春となんらかわらないのではないかという考えがよぎる。私の果たすべきことをちっとも果たしていないように思える。世の中の女性は偉大だ。働いて朝起きて、仕事に行き、帰ったら家事と子供の世話が待っている。

私はどれかひとつでもできたら上出来だ。一日にひとつのことしかこなせない。「こんなでいいんだろうか、そんなわけないだろ俺 なんでここで涙出る」。歌詞が沁みる。

こんなんでいいわけない。でもそれをとがめない人がいる。恵まれている。このまま感謝しながら、お荷物として生きるのだろうか。プライドを持つなということか。いや、そんなもん最初からくだらない。私のプライドなんかなんにもならない。実力はないのに、見栄っ張り。人になめられないことが最重要事項になりかけている。

このまま生きてる理由は何だ。人の役に立ちたい。人並みにいろんなことをやりたい。私は女だから許されている。私は男だったらもっとつらい立場にいたはずだ。私と同じような男性に申し訳ない。なぜ私は女というだけでこの環境を享受しているんだ。

積み上げられた本を眺め、こう見られたいというコンプレックスがあらわれているなと思った。読んだことのない難しい本、文章を書くための教本、純文学、詩、名だたる作品たち。一体何と闘っているのか、私だってそんなことは忘れてしまった。

一番安定していて欲しかった居場所を手に入れたはずなのに、思考グセは治らない。何を求めている。何を手に入れれば満足なんだ。

雨がやんでいる。皆が家から出てくる。ずっと降り続いて欲しいと思う。